第57話:ソニー頒布とその周辺のこけし

Fukujyu_ndento_sony_kao 平成8年7月、ソニーファミリークラブによる『名工の逸品「伝統こけし」紀行』の頒布が始まった。この頒布は「新しい伝統こけし展」の中心メンバーであった仙台郷土玩具の会会長の高橋五郎氏がプロデュースしたもので、各工人が従来の伝統こけしに工夫を凝らした作品が取り揃えられていた。福寿さんも15人のメンバーの一人として名を連ねている。このソニー頒布の話は「新しい伝統こけし展」が終わって間もない頃に持ち上がった。第3回展覧会で全精力を使い果たした福寿さんは、ソニー頒布用のこけし制作に取り掛かる。既に伝統的なものへ舵を切っており、「高勘」の伝統的なものをベースにすることになった。ベースの型は「高勘」としては目新しく見える平頭で肩の角張った、昭和7年頃の盛こけしに決まった。さて、そこにどのような描彩を施すか…。口絵写真はソニー頒布こけしの表情である。

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第56話:新伝統からソニー頒布へ

Fukujyu_ndento_1me_kao 新しい伝統こけしへの挑戦は、平成6年6月の第3回展覧会をもって一段落する。ここ数年、木地形態や描彩に関して新しい試みに挑戦して各種の作品を作ったが、それらをそのまま作り続けることはなかった。特に形態の立体化は大変な手間を要する一方で、伝統という範疇からは大きく逸脱するものでもあり、以後作られることはなかった。福寿さんがそこから進むべき道は、やはり伝統的なものへの回帰であった。平成7年になると、新伝統では見られなかった一筆目に頬紅のこけしが見られるようになった。このこけしは、木地形態は完全に「高勘」の様式であったが、胴模様には新伝統で作り出した菊模様を描き、面描は新しく考え出したものであった。とは言え、眉の無い一筆目は、勘治の立ち子の特徴であり、それの応用でもある。それをそのまま大寸こけしの顔に描いたのでは寂しいので、頬紅を追加したのであろう。口絵写真は、その表情である。

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第55話:第3回新しい伝統こけし展(平成6年6月)その2

Fukujyu_ndento_3rd_okame_kao 今回は、第3回新しい伝統こけし展に出品された福寿さんの作品の内、木地技術の極みに挑戦したものを見てみよう。この手の挑戦は第2回の展覧会で、鼻と口を立体的に削り出すことで実行していた。今回の展覧会では、その手法を更に進めて「おかめ・ひょっとこ」を作り出している。おかめについては顔全体を、ひょっとこについてはひょっとこの面を被った形態となっている。「おかめ・ひょっとこ」は日本では古来から神楽の道化役として用いられており、おかめは「厄払い」や「魔除け」から「福を招く神様」、ひょっとこは「火を守る神様」、「竈神」として崇められ、二人合わせて「家庭円満の神様」として扱われることも多いようである。こけしの頭におかめを描く様式は遠刈田でも見られ、七福神などと同じようにこけしと言うよりもこけし周辺の木地玩具の一種として扱った方が適切なのであろう。口絵写真は、そのおかめの表情である。

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第54話:第3回新しい伝統こけし展(平成6年6月)その1

Fukujyu_ndento_3rd_kao 平成2年から隔年で開催されてきた「新しい伝統こけし展」は停滞しつつあった伝統こけし界に新風を吹き込むものとして評価され、出品する工人数も増加してきた。そして最後となる第3回目は平成6年の6月に開催された。参加・出品工人は127名(314点)に達し、意欲的な作品も多く見られるようになった。福寿さんはこの第3回展覧会に実に18本もの作品を出品している。二桁出品は他におらず圧倒的な数であった。新しい伝統こけしとして挑戦してきた福寿こけしの集大成と言っても良いであろう。その内容は伝統的色彩の濃いものから、表情・胴模様に新しい工夫を取り入れたもの、木地技術の粋を凝らしたもの、その融合作までと幅広く、中には伝統こけしという範疇からは超越したものまでが見受けられる。今回はその中から面描の異なる3点を紹介しよう。口絵写真は、その3点の内の1点の表情である。

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第53話:第2回新しい伝統こけし展(平成4年6月)

Fukujyu_ndento_2nd_kao 平成2年に開催された第1回新しい伝統こけし展は72名の参加者を得て好評裡に終了した。それから2年が経過した平成4年6月、第2回新しい伝統こけし展が開催され、前回より20名以上多い94名の工人が参加をした。この第2回に福寿さんも参加したが、出品したこけしは1本のみ。第1回には12本も出していたので驚きであった。その1本は面描の鼻と口を立体化したもので、これまでの伝統こけしの常識を超越したものであった。昭和30年代、福寿さんが新型こけしに傾倒していた時期、コンクールで内閣総理大臣賞を受賞した「宝珠」や農林大臣賞を受賞した「ぼく」の鼻は後から接着剤で付けたものであった。今回の新伝統では、その部分を本体から削り込んで作ったものであった。まさに、木地技術の究極に挑戦したものだったのである。これは前回の斜め笠や髷よりも更に手間のかかるものであり、この1本に全精力を集中して作り上げたものであった。口絵写真は、その出品作と同手の作の顔の部分である。

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第52話:第1回新しい伝統こけし展(平成2年6月)

Fukujyu_ndento_kasa_kao 鳴子木地玩具協同組合に仙台郷土玩具の会から「新しい伝統こけし展」への出品・参加を要請する話があったのは平成になって間もない頃であった。その趣旨は「伝承技法を遵守しながらも、それに現代感覚を盛り込んで創意工夫を加えた最新作の展覧会」ということで、第2次こけしブームも下火を迎える中、造形・描彩の様式化・固定化が顕著となり、こけし本来の素朴な美しさ、個々のこけしの活力あるおもしろさが薄れつつあるという状況があったからである。平成に入ってから従来型の伝統こけしにマンネリ感と物足りなさを感じていた福寿さんにとって、この展覧会は格好の舞台となった。平成2年6月に開催されたこの展覧会に福寿さんは12本ものこけしを出品しており、これは展覧会参加工人中最多であった。この12本の内8本は、従来型の形態・描彩をベースに若干の工夫を加えたものであるが、残る4本は「福寿型」と称してこの展覧会のために新たに作り出したものであった。

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第51話:深沢勘治と西田勘治 (s49 s52)

S52 福寿の勘治型の「原」には2本の勘治こけしがあることを折々に述べてきた。「西田勘治」と「深沢勘治」である。福寿の勘治型は「西田勘治」から始まり、再出発した昭和38年頃からは「深沢勘治」を写した勘治型に変わった。昭和40年代はこの「深沢勘治」型が作られていた。同じこけしを同じように作るのはアイデアに富んだ福寿には面白くなく、深沢勘治型でもある程度の変化は取り入れていた。そんな折、深沢勘治型に飽き足らない収集家から「西田勘治」を真剣にやってみないかとの誘いがあった。自身の勘治型に行き詰まり感を持っていた福寿がそれに応ずるのに問題はなかった。そうして昭和52年に西田勘治の忠実な写しが少数作られた。しかし、この忠実な西田勘治型はそのまま作られることはなかった。しかしその作風は引き継がれていった。

「西田勘治」と「深沢勘治」の違いについては、先ず第一に胴模様の違いが挙げられる。これは一目瞭然なので直ぐに分るだろう。次に、前髪と鬢の間に描かれる鬢飾りの違い(後述)がある。また、大きさの違いもあり、西田勘治は尺1寸5分、深沢勘治は尺1寸1分と西田勘治の方が若干大きいのである。

 

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第50話:昭和40年代後半 (s48 s50)

S50 昭和40年代も後半に入るとこけしブーム(第2次)も一段と盛り上がりをみせ、鳴子の福寿の店に行っても福寿こけしが店に並んでいることが少なくなっていた。昭和39年から職人として木地を挽いていた柿澤是隆が46年に独立して辞めると、その傾向は強まった。国恵がこけし収集を始め、福寿の店に足を運ぶようになるのはこの頃からである。

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第49話:昭和40年代前半 (s43 s45)

S45 昭和30年代の末から40年代の初めにかけてピークを迎えた福寿の勘治型は、40年代に入ると落ち着いた作風となるが、半ば頃からは原寸の大きさがやや小さくなり、胴の形や色彩にも変化が見られるようになる。

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第48話:ピーク期の勘治型再掲 (s38_41)

S398 前回まで、3回に渡り勘治型のこけしを紹介したが、この昭和38年から41年までが勘治型の1つのピーク期と言って良いであろう。新型こけしから旧型こけしに戻り、改めて勘治のこけし(深澤勘治)を見つめ直して、そこから自身の新しい勘治型を作り上げてきた。そして、この4年間ほどの中でも日々研究を重ね、勘治型は成長していき、やがて勘治型は福寿の代表作としてこけし界に認められるところまできた。

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