第10話:盛の勘治型は…
土橋慶三氏が持ち込んだ勘治のこけし(西田勘治)は、盛にとっては秋田での初見から10年振りの再会であった。秋田で見た時にはただひたすら懐かしく、西田峯吉氏もそれが勘治のこけしだと判明したことで満足して帰って行った。しかし今回の土橋氏は勘治こけしの魅力を訥々と語り、このようなこけしを作ることが今の鳴子こけしにとっては必要なのだと、その復元を勧めた。盛は懐かしさの想いから福寿の挽いた2本の木地に描彩を行い、胴底に「明治時代 想出乃作」と書き加えた。未だ、「写し」とか「復元」などという言葉や行為が一般的ではない時代であった。この製作を機に盛は新しく「勘治型」という名のこけしを作ることになった。今でこそ「原」こけしに忠実に作ることが「写し」「復元」の原則のように考えられているが、この時の盛にはそんな気持ちはなく、あくまで勘治のこけしの特徴を備えたこけしを作るくらいに考えていた。「原」に忠実ではなく、それに自分なりの工夫を加えて盛自身の勘治のこけしを作るという意識の方が強かったのであろう。その後暫くは「原」に近い勘治型こけしを作っていたが、一年もすると髷と角髪と二側目は勘治こけしを踏襲しながら、他の部分(木地形態・描彩)では盛自身の特徴を持ったこけしに代わっていった。
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