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第1話:プロローグ

_ 鳴子こけしの祖は大沼又五郎と言われている。又五郎は弘化年間に小田原より湯治にきて源蔵湯に泊まっていた木地師から鳴子でははじめて小物挽きの技術を習った。高野幸八の姉さと(安政3年11月23日生)の談によると「温泉神社の受け持ち神主をしていた早坂某が伊勢参りをして、どこかで木の人形を買って帰った。これを見本にして、小さい人形を作らせ温泉神社で一銭の賽銭を貰ってお守りとして出した。大沼又五郎がそれを4寸くらいの大きさの人形に作って店で売ったのが鳴子こけしの始まりだ」という。又五郎の弟子である大沼岩太郎、大沼利右衛門、高野幸八、高橋金太郎などが始まりとなって鳴子の5系列が生れ、今日まで引き継がれている。

 

 

その一人大沼利右衛門が始めた系列が「利右衛門系列」と呼ばれており、利右衛門の妻けさのの弟高橋勘治が利右衛門の弟子となって(明治8年)木地業を継ぎ、利右衛門の死後、店を開いて「高勘」と号した。これが鳴子の老舗「高勘」の始まりである。勘治には四人の息子がおり、三人が木地修業をしたが、次男の盛が「高勘」を継いだ。

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< 勘治一家のこけし(大正期)>

高橋盛は明治23年の生れ。明治37年15歳より父勘治について木地を修業し、16歳ころよりこけしを製作した。大正5年に岩出山の森谷平治二女きくゑと結婚し、大正10年に勘治が亡くなってからは、「高勘」当主として家業の木地業に精進した。写真中央は、「古計志加々美」のカラー版に掲載されている盛こけしである。

 

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