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第6話:その頃、盛・盛雄は…

S26__20200528135301 大正6年生まれの盛雄は、高等小学校を卒業後、父盛について木地修業を行い、昭和12年からは横須賀の海軍航空廠に入って鳴子を離れた。そのため、一家と一緒に秋田には行かず、終戦時には仙台で勤めをしていた。鳴子に帰ったのは昭和25年になってからである。昭和12年以降は木地業についていなかったこともあり、帰郷後は福寿や森谷和男(昭和24年11月より盛の弟子)の挽いた木地に主として描彩を行っていた。作るこけしは「高勘」の跡取りとして盛の作風をそのまま継いだものである。

 

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< S25~26頃の盛・盛雄こけし >

この時期(昭和25~26年)、鳴子の工人はこけしに署名をすることは少なく、「高勘」こけしも無署名のものが多い。福寿はしっかり署名をしていたようだ。写真の3本のこけしは「高勘」のこけしであるが、中央の1尺こけしには「盛雄」の自書と思われる署名があり珍しい。盛雄の初期のこけしを特定する貴重な資料である。右の8寸には署名は無く、ペン字で「26.8.5 仙台にて 鳴子のこけし」、また鉛筆書きで「高橋盛? 皆川たみ子」とある。当時(昭和26年)は盛こけしと皆川たみ子が混同されていたことが分かる。左6寸にはゴム印で「森62.4.11」と鉛筆書きで「盛」とある。3本とも木地形態、描彩とも同じようなこけしである。左は描彩に染料を使っているが、中央は胴は染料、頭の赤はエナメルカラーか、右は胴も頭もエナメルカラーと思われる。盛こけしは昭和24年には下目のクリクリ目であったが、その後目の位置はやや上がったようだ。さて、中央は盛雄のこけしとして、左右のこけしはどうであろうか。左は盛の可能性が強い。ゴム印の「森」は「たつみ」の森氏かも知れない。右のこけしも盛の可能性がある。決め手は鼻の形で、盛雄は垂鼻、盛は猫鼻が多いのである。但し、盛がエナメルカラーを使ったかどうか・・・。盛にしろ盛雄にしろ、福寿の初期こけしとの違いは大きいことが分かる。

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