第10話:盛の勘治型は…
土橋慶三氏が持ち込んだ勘治のこけし(西田勘治)は、盛にとっては秋田での初見から10年振りの再会であった。秋田で見た時にはただひたすら懐かしく、西田峯吉氏もそれが勘治のこけしだと判明したことで満足して帰って行った。しかし今回の土橋氏は勘治こけしの魅力を訥々と語り、このようなこけしを作ることが今の鳴子こけしにとっては必要なのだと、その復元を勧めた。盛は懐かしさの想いから福寿の挽いた2本の木地に描彩を行い、胴底に「明治時代 想出乃作」と書き加えた。未だ、「写し」とか「復元」などという言葉や行為が一般的ではない時代であった。この製作を機に盛は新しく「勘治型」という名のこけしを作ることになった。今でこそ「原」こけしに忠実に作ることが「写し」「復元」の原則のように考えられているが、この時の盛にはそんな気持ちはなく、あくまで勘治のこけしの特徴を備えたこけしを作るくらいに考えていた。「原」に忠実ではなく、それに自分なりの工夫を加えて盛自身の勘治のこけしを作るという意識の方が強かったのであろう。その後暫くは「原」に近い勘治型こけしを作っていたが、一年もすると髷と角髪と二側目は勘治こけしを踏襲しながら、他の部分(木地形態・描彩)では盛自身の特徴を持ったこけしに代わっていった。
こちらは、盛63歳(昭和27年)の勘治型のこけし2本である。右は前回紹介した土橋氏訪問時に作った勘治写しのこけし。左は鹿間時夫氏旧蔵で「こけし・人・風土」に掲載された勘治型のこけしである。大きさは共に原寸(1尺1寸5分)で福寿木地である。昭和63年の3月中旬、東京の松屋デパートで鹿間時夫氏のコレクション入札・即売会(忠蔵庵主催)があった。即売品の中に山状に展示されたこけしがあり、その一番上に左のこけしが鎮座していた。10万を超える価格は直ぐに出せるものではなく、いったん帰宅して一晩考え、まだ残っていたら買おうと心に決めて翌日再び松屋に向かった。そのこけしを手にして会計に持って行くときには身震いしたものである。同年作であっても、左のこけしは右よりも月日が経ってから作ったものであろう。頭と胴の木地形態も少し変わってきている。描彩では髷、角髪、二側目、二輪の正面菊に蕾4輪の構成は変わらないが、正面菊の形(特に下)が大分変った。また、添え葉は右では中央の1葉だけであるが、左では上中下の3葉となり、下の蕾の位置も変わっている。最初は「原」を見てその通りに作ったが、時が経つとその記憶は薄くなり変わってくるのであろう。
胴底の盛の記載を見てみよう。右のこけしでは「明治時代 想出乃作」という記載と墨で上から消してあるが「贈 土橋様」という記載があり、土橋氏訪問時に作って土橋氏に贈られたものであることが分かる。また、左のこけしでは新たに「勘治型」の記載があり、正式に「勘治型」として作ったことが分かるのである。
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