第24話:昭和30年代に入って・・・
「高勘」に居た頃の福寿は、父や兄の木地挽きやその他の雑用もあって、自身のこけし製作はそれほで自由ではなかった。その後、結婚して独立すると自分のための時間が多くなり、新型こけしに熱を入れていたとは言え、旧型こけしの制作にもそれなりの時間を割いて励んでいた。父盛が勘治型を作っていることもあり、福寿にも時々勘治型の注文もあって時々は作っていた。しかし、勘治写しを作ってから時が経ち、勘治の「原」も写しも手元には無く、勘治型のイメージも次第に「原」からは離れて行った。昭和33年には長男寿彦が生まれ、一家を養っていく家長としての責任も一層大きくなり、改めて勘治型にも目を向けて、その製作にも力を入れた。
こちらは、昭和33年頃の勘治型こけし。大きさは8寸。昭和20年代の末から30年代の初めにかけては殆ど勘治型は作っていなかった思われ、久しぶりの勘治型である。そのためか、勘治型の定番を外して点も見られる。一番の違いは肩の山のロクロ線の様式である。このロクロ線、太い2本の赤ロクロ線で細い1本の赤ロクロ線を挟むのがお約束なのであるが、本作ではそうなっていないのである。下から太い赤ロクロ線、次に細い赤ロクロ線と来て、本来なら次は太い赤ロクロ線になるところを、細い赤ロクロ線が2本となっている。これは、「普通型」の様式で、鳴子系では他の工人でもよく見かける様式なのである。また、胴の反りも少なく、胴上下の緑ロクロ線が細いなど、胴全体の様式が勘治型ではないと言える。第22話の勘治型と、頭と胴の様式が逆になっていると言えるだろう。
昭和20年代の勘治型(左と右)と比べてみよう。顔は右→左→中と変わってきている。一方、胴模様を見ると、本作の2輪正面菊は花弁が上に跳ね上がった形をしており、左よりは右のこけしの正面菊に近い様式になっているのが興味深い。
頭頂部の髷を比べてみた。髷の大きさと赤く塗られた髷の中の3つの空白部の変化を見て貰いたい。3つの内、左右の2つは次第に大きく丸く変わってきている。
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