第21話:勘治型はどうなった・・・?
話は10年程遡る。昭和27年3月、福寿は土橋慶三氏が持参した勘治のこけし(西田勘治)の写しを作った。その後、福寿は新型こけしに熱中して成果を挙げたことを見てきた。新型こけしが主体だったとはいえ、福寿は並行して旧型こけしも作っていた。あの勘治型は、その後どうなったのであろうか…。福寿が勘治写しを作ったことで、今なら勘治型の注文が増えて、福寿もそれなりに勘治型のこけしも作ったであろうが、当時は未だ「○○型」というものが一般的ではなく、福寿が継続的に勘治型を作るということはなかった。とは言え、全く作らなかったという訳でもなく、新型こけしの合間にそれなりのものは作っていた。しかし、それは勘治写しのように、勘治のこけしと全く同じものを作るということではなかった。
福寿の勘治型こけしの出発点として、このこけしを選んだ。このこけしは、第8話で同様の1尺5寸の超大こけしと一緒に紹 介したものである。そこでは、福寿の「初期型」の中の一作として載せているが、「勘治型」としても(むしろ勘治型とした方が)不思議はないので、ここでは改めて「勘治型」として紹介することにする。このこけしは昭和26から27年に作られたものと思われるが、勘治写しを作る前の作か、それ以降の作かは判然としない
こちら、左のこけしは昭和26年頃の初期型。これと右手前の本作を比べてみると、頭の様式(髷、鬢飾り、鬢)に共通点が多いことが分る。この部分、もし勘治写しを作った後の作なら、もっと勘治風に変わっていても良いと思うのである。それは胴模様についても同様である。そんなところから、勘治写しを作る前の作ではないかと思うのである。この手の勘治型こけしは森田丈三著「こけし悠々」の63頁に載っている。それを見て以来ずーっと欲しいと思っていて、本作がヤフオクに出た時(平成25年)には心が騒いだ。不退転の決意で入札し落札した時には小躍りしたものである。
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