第39話:時代と共に・・・ (s39_41)
1964年(昭和39年)は東京でアジア初のオリンピック大会が開催された年である。東海道新幹線も開通し、これを境に日本は高度成長期に突入していくことになる。そんな世の中の風潮は東京から日本全体に広がっていき、東北のこけし産地にも及んでいた。新型こけしの世界にも身を置いていた福寿は敏感にそれを感じていた。人々は本格的なものを求めるようになり、デザインの新規さを表現した新型こけしから旧来の様式を引き継いだ旧型こけしが見直されるようにもなった。「伝統こけし」という名称が定着してその地位も固まっていった。そうした流れの中で、旧型こけしの良さを残しながら、いかに時代の要求を取り入れたこけしを作るかに福寿は腐心していた。30年代の福寿こけしは胴が太く、全体的にふっくらとした感じであった。それが40年代に入ると、細身でスタイリッシュな近代的な感じのこけしに変わっていくのである。
こちらの4本は、昭和39年の後半から41年にかけてのこけしである。木地形態では頭がやや角ばって縦長となり、肩は張りが少なくなって肩の山が肩近くから盛り上がっているために肩上面の幅が狭くなり、肩と山との境目に引かれていた細い赤ロクロ線が無くなっている。これは40年代ずっと続く。胴は反りが少なくなる。頭が縦長になったのに合わせて鬢も長くなる。眉目の描線は湾曲が少なくおとなびた表情になっている。胴模様の横・正面菊は変わらないが、添え葉の形が様式化されて模様として定着し、これもこれ以降変わらない。なお、39年より柿澤是隆が職人として勤めるようになり、福寿こけしの木地を挽くようになった。
なお、この時期には胴底の署名は「遊佐福寿」とフルネームで書いているが「遊」の字体がそれぞれ異なっている。特に40年頃のは「ね」の字のようになっているので製作時期の判定に便利である。これ以降の署名は右端のように「福寿」と名前だけになる。
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