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2020年8月

第48話:ピーク期の勘治型再掲 (s38_41)

S398 前回まで、3回に渡り勘治型のこけしを紹介したが、この昭和38年から41年までが勘治型の1つのピーク期と言って良いであろう。新型こけしから旧型こけしに戻り、改めて勘治のこけし(深澤勘治)を見つめ直して、そこから自身の新しい勘治型を作り上げてきた。そして、この4年間ほどの中でも日々研究を重ね、勘治型は成長していき、やがて勘治型は福寿の代表作としてこけし界に認められるところまできた。

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第47話:全国こけし祭りで最高賞! (s41)

S41_20200826134301 コンクールで最高賞を取り、鳴子駅前に店(福寿の店)を構え、福寿の勘治型は快進撃を続ける。そして昭和41年9月には地元鳴子の第12回全国こけし祭りで最高賞の文部大臣奨励賞を受賞した。38年の木形子展、39年の全国こけしコンクール、そして41年の全国こけし祭りという当時の3大コンクールで最高賞を取り、三冠を達成したのである。こうして、福寿の勘治型こけしは鳴子を代表するこけしとして、愛好家垂涎のこけしへと成長していった。

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第46話:全日本こけしコンクールで最高賞! (s39)

S39_20200825184001 秋田時代から木地修業を始め「高勘」で磨いた木地技術に加え、新型こけしで身に着けた造形感覚から生み出された福寿の勘治型こけしは、明治期の勘治のこけしを現代感覚で再現したこけしとして高く評価され、昭和39年5月に開催された全日本こけしコンクールにて最高賞の通産大臣賞を受賞した。30年代の半ば頃までは新型こけしに傾倒した異端の工人と見られていたが、新型こけしと決別しこの勘治型も持って旧型こけしの世界に戻ってきた福寿は鳴子でも一躍人気工人となり、ますます製作に力が入ることになった。そして、それまで妻の実家の遊佐下駄商店の一角にこけしを並べていたが、昭和40年7月には、駅前通りの現在地に「工人 福寿の店」を開店した。

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第45話:本格的な勘治型へ (s38)

S38_20200822204901 昭和30年代も後半に入ると、こけし界の様相も変わってきた。一世を風靡していた新型こけしにも陰りが見え始め、一方で「伝統こけし」という名称が定着しだした旧型こけしが見直されてきたのである。こけし界の先達たちが進めてきた復元(写し)による古作こけしの復古運動がブームになってきたのである。そして新型こけしの製作に精力を注ぎ、その分野での頂点を極めた福寿は、勘治型への再挑戦に向けての意欲が沸々と湧き上がっていた。そんな折、昭和38年2月、東京日本橋三越で「第1回木形子展」が開かれることになった。福寿はこのコンクールに向けて新たな勘治型の製作を始めた。先ずは「原」の勘治こけしをじっくり観察することから始まった。幸い、鳴子町役場には深澤要氏が寄贈した勘治こけしが保管されていた。昭和27年に福寿が写しを作ったのは西田峯吉氏が所蔵していた勘治のこけし(西田勘治)だったので、それ以降に福寿が作った勘治型こけしは西田勘治を元にしたもの(西田勘治型)であった。ところが、今回参考にしたのは深澤氏の勘治こけし(深澤勘治)であり、これ以降に作られたのは基本的には深澤勘治型ということになる。そして、この第1回木形子展で、福寿の出品した勘治型は見事に第1位優秀賞を受賞した。

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第44話:平成になって (h2_h6)

H06 昭和40年代以降、民芸品等の一大ブームの中で、こけしも第二次こけしブームを迎え、民芸品全般のブームが下火になっても、こけしだけは大丈夫と言われて投資の目的でもこけしが流通していた。しかし、昭和から平成に時代が変わる中で、こけしにおいてもマンネリ感が漂っていた。そんな中で、高橋五郎氏が提唱した「新しい伝統こけし」は停滞気味のこけし界に一石を投じることとなり、福寿の関心もそちらに向いて行った。従来型のこけしも作っていたが、その数量は次第に少なくなっていった。「新しい伝統こけし展」が3回で終了した後は、ソニーファミリークラブによる頒布会が始まり、福寿はその製作に追われることになった。そして、ソニー頒布が始まってからは、普通型のこけしも見かけなくなってしまった。

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第43話:原点に戻って (s60_63)

S63 昭和50年代は第二次こけしブームの最中ということもあり、福寿のこけし製作に対して収集家や業者から色々な働きかけがあった。そのためもあって福寿のこけしは普通型、勘治型等の基本形をベースにしながらも、その様式は多種多様となり「何々型」と区別するのが難しいものも作られた。そんな中で、昭和60年代に入ると福寿のこけしは原点回帰に向かうのである。一度大きく広がった各種のこけしを一旦元の形に集約させ、そこから新たなる方向性を目指したのである。

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第42話:花開く普通型2 (s50年代後半)

S58 昭和50年代になってからは、毎年のように福寿の店に足を運んでいたが、手元にある福寿こけしを探してみても、純粋な普通型のこけしは殆ど見当たらない。肩の角張った盛古型とそれをアレンジしたこけしが多くなっている。タイトルでは昭和50年代後半としているが、紹介できる普通型のこけしは昭和58年のものである。ただ、この58年頃から、福寿のこけしは面描に大きな変化が見られるようになるのである。

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第41話:花開く普通型1 (s50年代前半)

S51 福寿のこけしは昭和30年代までは勘治型と普通型、それに新型の3種が作られていた。昭和42年からは大正型も作り始め、古鳴子型もほぼ同じ頃から作り始めて、昭和40年代には勘治型、普通型、大正型、古鳴子型の4種を作り分けていた。50年代になるとこれに変化が現れ始める。40年代末から高勘古作の復元の話が持ち込まれ、52年には盛の昭和初期、角肩で平頭のこけし(盛古型)も作り始めた。その影響を受けて普通型の標準様式にも変化が出てくる。普通型と盛古型の特徴が入り混じったこけしが作られることになるのである。国恵はその違いを肩が丸いか角張っているかで区別しているが、これによって普通型のバラエティが大いに広がった。

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第40話:安定の40年代・・・ (s42_49)

S47 昭和40年代に入って、30年代のこけしから一皮むけて洗練されたこけしとなった普通型は安定期に入る。木地形態・描彩ともに標準様式が固まり、製作時期により個々の小さな変化は見られるものの、落ち着いた雰囲気の作行が続いていた。一方、この頃は第二次こけしブームが大きなうねりとなってこけし界を覆い、伝統こけしは作る傍から売れてしまうという異常な盛り上がりを見せている時期でもあった。老工や人気工人のこけしは自宅を訪れても全く手に入らないという凄まじさであった。国恵が福寿の店でこけしを選んでいる最中に、業者と思われる人が車でやってきて、棚に並んでいたこけしを全て買っていく場面に遭遇することもあった。

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