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第57話:ソニー頒布とその周辺のこけし

Fukujyu_ndento_sony_kao 平成8年7月、ソニーファミリークラブによる『名工の逸品「伝統こけし」紀行』の頒布が始まった。この頒布は「新しい伝統こけし展」の中心メンバーであった仙台郷土玩具の会会長の高橋五郎氏がプロデュースしたもので、各工人が従来の伝統こけしに工夫を凝らした作品が取り揃えられていた。福寿さんも15人のメンバーの一人として名を連ねている。このソニー頒布の話は「新しい伝統こけし展」が終わって間もない頃に持ち上がった。第3回展覧会で全精力を使い果たした福寿さんは、ソニー頒布用のこけし制作に取り掛かる。既に伝統的なものへ舵を切っており、「高勘」の伝統的なものをベースにすることになった。ベースの型は「高勘」としては目新しく見える平頭で肩の角張った、昭和7年頃の盛こけしに決まった。さて、そこにどのような描彩を施すか…。口絵写真はソニー頒布こけしの表情である。

Fukujyu_ndento_sony_4hon Fukujyu_ndento_sony_4hon_yoko

こちらに4本のこけしを並べてみた。左から、平成7年12月、平成8年6月、平成8年9月、平成8年12月で、大きさは8寸4分である。左は福寿さんから送って貰ったもので、このように平成7年の後半にはソニー頒布の試作に入っていたのである。左から2番目がソニー頒布品。訪問時に第1回頒布用に作られていたものを譲って頂いた。右2本は後年になって入手したもので、日付は胴底に書かれていたものである。いずれも、ソニー頒布品の兄弟と言ってよいものである。頭の形は、左のみ普通の丸頭で、右3本は横広の平頭になっている。胴の形態は肩の張ったもので4本とも同様である。胴上下のロクロ線は赤と緑の組み合わせであるが、中2本は赤ロクロ線が主体でシンプル、両端は赤と緑の組み合わせでかなり派手めである。胴模様は左2本は同じで勘治型のもの、右端は勘治菊を一輪にして添え葉の様式を変えている。右から2番目は勘治菊の代わりに正面菊にして、添え葉は右端と同じである。

Fukujyu_ndento_sony_4hon_ushiro

なお、右の2本には「楓」の裏模様を描いている。裏模様は遠刈田系では良く描かれるが、鳴子系では珍しい。

Fukujyu_ndento_sony_4hon_atama

面描と頭頂部の水引である。水引は両端が大正型のもので、中2本は普通型で左が3筆、右が5筆。面描は左3本は一側目で、右端のみ一筆目。鬢は左端は大正型の纏めた様式で、右3本は3筆の普通型様式。口は左2本が丸点、右端は一筆、右から2本目は二筆。それぞれが「高勘」の伝統的な様式で、それらを組み合わせたものなっているのが分る。こうして並べて見ると、流石にソニー頒布のこけしが一番完成度が高いものに思えるから不思議だ。

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コメント

初めて本ブログを拝見しました。福寿さんへの想い溢れる素晴らしい内容で第一話より一気に拝読してしまいました。私(54歳)は、子供を授かるまでの長い期間、妻と東北の温泉巡りで二十五年位前に鳴子温泉を訪れたのがきっかけでその後こけし蒐集を始めたのですが、当初より福寿さんの達筆な輝かんばかりのこけしに目を見張っておりました。しかし後発の蒐集家である私ども夫婦にはなかなか福寿こけしを手に入ることが出来ませんでした。今の様にネットに情報が溢れている時代ではなく、まだ福寿さんがご存命ではありましたが福寿の店にも並べられることもなく、自分なりに色々探したものの見つけることが出来なかった理由を本ブログで今更ながら理解しました。妻と福寿のお店に2度目位に伺い、無い物と分かってお声をかけさせて頂いた際に、東京から来た(まだ)若い二人を気の毒がって店の奥の居間あたりから持ってきて頂いた、「売り物では無いものの綺麗なこけしを差し上げる」と仰りながら奥様から頂戴した事がとても良い思い出です。その時に奥様から伺ったのが、まさしくソニーの頒布に忙殺されていた福寿さんが、達磨の繊細な髭を腕が痛い痛いと言いながら作業場で描かれていること、また、痛いのであれば簡略化すれば良いのではという奥様のすすめを一切聞かずに黙々と精力的に作り続けていることをにこやかに語られていました。その後間もなく福寿さんにお会い出来ないまま訃報を耳にしました。近年、Yahoo!オークションという便利な場のおかげで比較的簡単に福寿さんのこけしを入手出来る様になりましたが、今でも奥様に頂戴した私にとっての珠玉の一本と、大沼秀顕さんがお越しになる横浜人形の家で入手した僅かに未完成の達磨を大事にしています。他愛無い思い出話での長文失礼しました。引き続き福寿物語楽しみにさせて頂きます。

岡田裕二さま
コメントありがとうございます。
晩年の福寿さんは山の工房に引き籠って鍵をかけて仕事をしていましたから、収集家が行っても会うことは難しかったようです。私はそれまでのお付き合いから会うことが出来、至極の時間を過ごすことができたのは幸運でした。ソニーのダルマは髭の濃淡がちょっとでも違っていると不良品として返品されるので大変だと嘆いていましたね。戦後の鳴子を代表する工人でしたが息子がこけし作りを止めてしまい、新しい収集家は知らない人も多いようで残念なことです。福寿さんの足跡を何らかの形で残しておきたく、その資料としてこのブログを立ち上げました。今のところ、千夜一夜の方がメインでこちらは気が乗ると更新するような状況で、まだまだ先は長そうです。時々、覗いて頂ければ新しい記事が載って入るかもしれません。よろしくお願いいたします。

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