初期型

第13話:新しい道を求めて…

S29 昭和20年代も後半になると戦後の混乱も一段落し、温泉地にも賑わいが戻ってきた。世の中はすっかり欧米文化に満ち溢れ、新しいものを求める風潮が流れていた。そんな中に鳴子のこけし産業に大きな影響を与えるものが忍び寄りつつあった。「新型こけし」である。この「新型こけし」は昭和23年に白石の業者が作り始めた「どんここけし」が始まりで、その後横浜での平和博覧会に出品されて人気を博し、全国に広まったものである。こけしとは言うものの、形や描彩に制約は無く、色々なものを自由に作れるということで、旧来の「伝統こけし」を凌駕する勢いで作られていた。鳴子の土産物屋の店頭にも並び始めた新型こけしは伝統こけしを押しのけるように売れていった。

20歳台半ばに差し掛かった福寿は、これからのこけし作りに思い悩んでいた。若くて好奇心に富んだ福寿にとって、今の鳴子こけしは形態・描彩とも変化に乏しく面白みに欠けるものであった。そんな折、土産物屋の店頭に並び始めた「新型こけし」に興味を惹かれた。その自由な発想で作られたこけしに福寿は無限の可能性を感じたのである。「さて、どんなものを作ろうか!」と思った時に福寿の頭の中に浮かんだのは、秋田・新荘時代に父盛が作っていた「モンペこけし」であった。

続きを読む "第13話:新しい道を求めて…" »

第12話:「初期型」のその後

S30 昭和28年11月、鳴子にて第3回全国こけし祭りが開催され、深沢コレクションが鳴子町に寄贈された。この寄贈されたこけしは町役場の2階に陳列・保管された。この中には、深沢氏の所蔵となっていたもう1本の勘治こけしも含まれていた。

祖父勘治のこけしの写しを作り、「高勘」伝来のこけしも復活させ、こけし愛好家の評判も上々であったが、福寿の心には満たされないものがあった。「このまま、伝来のこけしを黙々と作り続けるだけで良いのだろうか…」と。そして再び、最初に始めた跳ね鬢こけし(初期型)の完成を目指してこけし作りを続けていった。それは昭和30年頃まで続いたがその後、ぷっつりと見られなくなる。その訳は次回に…。

 

続きを読む "第12話:「初期型」のその後" »

第8話:勘治こけしへの想い

S26__20200528171201 鳴子に戻ってからの福寿は自身のこけしを作るべく色々と考えを巡らしていたが、その根底には秋田で見た勘治のこけしの朧げなるイメージが見え隠れしていた。それらは、頭頂部の髷や跳ね鬢として福寿のこけしに取り入れられていたが、今一つ満足出来るものではなかった。そうした試行錯誤の中で、福寿の頭の中では自身の勘治こけしに対するイメージが出来上がりつつあった。「福寿勘治型」である。頭頂部には髷を描き、鬢は角髪(みずら)形、丸い肩の部分は太い赤ロクロ線で締め、胴には大輪の正面菊を2輪、その脇には蕾も入れる。そこには、若き福寿の勘治こけしへの熱き想いが満ち溢れていた。

続きを読む "第8話:勘治こけしへの想い" »

第7話:動力ロクロ導入

S26_2_20200528135301昭和26年、「高勘」に動力(電気)ロクロが導入された。

それまで、足踏みロクロで木地挽きをしていた福寿にとって、それは待ち待ったものであり、格段に作業効率を上げるものでもあった。前年のコンクールでは入賞もして、ますますこけし作りにも意欲が湧いていた。一方で胴上下の赤ロクロ線を2段にして、鬢を大きく跳ね上げた描彩は、正面から見ると鬢が目立ち過ぎてちょっとやり過ぎかという感じもしていた。動力ロクロのお陰で木地挽きにもゆとりが出来てきたので、今一度、勘治・盛こけしの原点を見つめ直してみた。

 

続きを読む "第7話:動力ロクロ導入" »

第5話:福寿こけしデビュー!

S25_ 昭和25年、仙台に行っていた兄盛雄が帰ってきて、こけし作りに参加した。

盛の許可も出て、これまで盛や盛雄の木地下を挽いていた福寿も、自身のこけしをどう作ろうかと考えていた。昔通りのこけしを作っても売れそうに無い。とは言え、皆と同じのクリクリ目のこけしを作るのは自尊心が許さない。そんな時、秋田で見た祖父勘治のこけしが蘇ってきた。そして、同年(s25年)開催された全日本こけし品評会に初めて出品し、エジコが市長賞を受賞し、首振りこけしが入選を果たした。

 

続きを読む "第5話:福寿こけしデビュー!" »