第20話:新型こけしの終焉
昭和35年は福寿にとって新型こけしを究めたと言っても良い年であった。2つのコンクールで最高賞を取った効果は大きく、「宝珠」「ボク」を筆頭にその他の新型こけしも好調な売れ行きを示していた。しかし、福寿はこの受賞で全力を出し切った状態であり、その後、この2作を超えるようなこけしは作られなかった。そして、全国的に広がっていた新型こけしのブームにも陰りが見え始めていた。殆ど新型こけしでスタートした白石の全日本こけしコンクールも昭和36年の第3回からは、第1部に伝統こけし、第2部に新型こけし、第3部に創作こけしと分れて審査するようになった。この第3回の第2部で福寿は「希望の春」で千趣会長賞を受賞したが、兄の盛雄は第1部で宮城県物産振興協会長賞を受賞していた。その後も福寿は昭和39年まで「雪」シリーズの新型こけしで中位の入賞をしていたが、昭和40年代に入ると新型こけしとは決別して伝統こけしに打ち込むようになるのである。
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