新型

第20話:新型こけしの終焉

Photo_20200614115001 昭和35年は福寿にとって新型こけしを究めたと言っても良い年であった。2つのコンクールで最高賞を取った効果は大きく、「宝珠」「ボク」を筆頭にその他の新型こけしも好調な売れ行きを示していた。しかし、福寿はこの受賞で全力を出し切った状態であり、その後、この2作を超えるようなこけしは作られなかった。そして、全国的に広がっていた新型こけしのブームにも陰りが見え始めていた。殆ど新型こけしでスタートした白石の全日本こけしコンクールも昭和36年の第3回からは、第1部に伝統こけし、第2部に新型こけし、第3部に創作こけしと分れて審査するようになった。この第3回の第2部で福寿は「希望の春」で千趣会長賞を受賞したが、兄の盛雄は第1部で宮城県物産振興協会長賞を受賞していた。その後も福寿は昭和39年まで「雪」シリーズの新型こけしで中位の入賞をしていたが、昭和40年代に入ると新型こけしとは決別して伝統こけしに打ち込むようになるのである。

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第19話:「ぼく」・・・

Photo_20200612221301 立体「鼻」を取り入れたもうひとつの作品が「ボク」である。「宝珠」も「ボク」も同型の姉妹のようなこけしであるが、スタイリッシュな「宝珠」は胴模様が正に名前の「宝珠」ということもあって、何か仏教的な如来や菩薩のように有難いもの、恐れ多いものとして飾って置くという雰囲気があった。そこで「ぼく」はもっと身近で気軽に楽しめるものとして作られた。イメージ的には「宝珠」が「豪」で鋭角的な感じ、「ぼく」が「柔」で丸っこい感じである。福寿はこの「ボク」を白石で開催された第2回全日本こけしコンクールに出品し、第1位の農林大臣賞を受賞した。こうして、この昭和35年に、福寿は2つの全国規模のこけしコンクールで最高賞を取り、新型こけしの分野でその頂に立ったのである。

 

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第18話:「宝珠」で総理大臣賞!

Photo_20200612144801 本格的に新型こけしの分野に飛び込んで5年が経ち、木地技術の粋を結集した「縄文こけし」から風土に馴染んだ優しい「みちのくの夢」まで幅広い活躍をしている福寿であったが、そんな中で挑戦してみたいテーマがあった。それは顔を立体化することであった。立体化するということになれば、顔の中で一番出っぱっている「鼻」が先ずその対象になる。これまで、髷とかヘアバンドなどにビリカンナの技術を応用してきたが、面描の部分については筆で描くだけであった。鼻の立体化の前兆は「南国の踊り子」にある。そこでは、鼻を白い顔料で厚めに塗っており、見た感じでは分からないが触ってみるとやや膨らんだ感触を受ける。そして、その鼻を後付けで立体化したのが「宝珠」である。宝珠にはその他にもスタイリッシュな形、白無垢に黒と金で描いた宝珠の一点模様、宇宙人を思わせる表情など、これまでの作とは一変した趣向が評価されて、昭和35年の第7回全国こけし人形コンクールにて「内閣総理大臣賞」に輝いたのである。

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第17話:こんなものも・・・

Photo_20200609203501 前々回の「南国の踊り子」にしろ、前回の「縄文こけし」にしろ、相当に手間のかかる作品であり、新型こけしといっても一品製作の「創作こけし」のようなものであった。当然、売値もそれなりの額となりそれ程沢山売れる訳ではなかった。温泉地に来た観光客や湯治客がお土産として気軽に買える安価なこけしも店に並べる必要があった。量産が可能な旧型こけしも作ってみたが、売れ行きは芳しくない。人気の新型こけしで量産品を作る必要があった。形はシンプルで、風土性を持った、思い出に残るこけしを思いつくままに幾つか作って店の棚に並べてみた。

昭和34年、新型こけしが隆盛の中、白石で第1回全日本こけしコンクールが開催された。福寿が出品した新型こけしは「よそおい」が宮城県知事賞、「ヴィーナス」が産業経済新聞社賞、「南国の踊り子」が佳賞を受賞した。また、第6回全国こけし人形コンクールでは「みちのくの夢」が東京都知事賞(第2位)を受賞した。

 

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第16話:縄文こけし

Photo_20200608204901 結婚した昭和32年の秋には、下駄を商っていた遊佐や商店の店内に自作のこけしを並べて「遊佐こけし店」を開業した。そして翌年の昭和33年2月には福寿夫婦に長男寿彦が生まれた。福寿の「寿」を継いだ名前に将来への期待が込められている。「高勘」から独立して1年ほど経ち、息子も生まれて、福寿は益々こけし製作に邁進することになる。

さて、新型こけしの場合には、それぞれのこけしに「作品名」を付けることが普通であり、福寿のこけしにも作品名が付けられている。その中でも今回のテーマである「縄文こけし」は、この昭和33年の第5回全国こけし人形コンクールで作家協会長賞を受賞し、一躍メジャーなものとして有名になった。同じ名前のこけしであっても、評判の良いものは長い期間作られ、その間に多少の変化は出てくるものである。この縄文こけしも数年間作られた。

 

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第15話:工人「遊佐福寿」誕生!

Photo_20200607121301 思い切って新型こけしの世界に飛び込んだ福寿であったが、新しいこけしの創作は順調なものではなかった。これまで親しんできた伝統的な形態や様式・描彩は体に染み込んだものであり、それからの脱却に苦労していた。

そんな折、福寿に縁談の話が起こった。相手は下駄を商っていた遊佐やの長女の節子で、その婿養子にどうかということで、昭和31年の夏であった。何回かのデートを重ね、その年の暮れには婚約が決まった。翌32年4月26日に二人は結婚し、福寿は長年親しんだ「高勘」の家を出て遊佐家の養子となった。福寿27歳の時であり、ここに工人「遊佐福寿」が誕生したのであった。

「高勘」本家から独立したことにより、福寿のこけし製作はより自由になった。それと共に福寿家を支えていくという責任感も出来た。新型こけしの勢いは盛んで、福寿の制作意欲を益々刺激していた。最早、誰に邪魔されるわけでもなく、頭に浮かんだアイデアを次々に形にしていった。そんな中に「首振り」があった。南部系のキナキナのように首の嵌め込みを緩くして、頭がくらくらと揺れるようにしたものである。なお、この首振りこけしの中で「南国の踊り子」は昭和33年の鳴子町物産展で宮城県知事賞、翌34年の全日本こけしコンクールで白石商工会議所会頭賞を受賞している。

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第14話:「反逆児」か「革命児」か!

S30_20200606151001 「高勘」と言う名門木地屋の出でありながら、そこから「新型こけし」という当時としては未知の部分の多い世界へ飛び出した福寿に対して、周りの同業者の目は必ずしも暖かいものではなく、「反逆児」として敵視されることも多かった。こけしの愛好家などからも「福寿は一体何をしているんだ!」とか「福寿はもうダメだ!」という厳しい声が聞こえてきた。勘治写しを物にし、将来を嘱望されていただけに、愛好家の落胆も大きかったのである。そんな四面楚歌の中、福寿は黙々と「高勘」の家業の木地を挽きながら、新型こけしのことで頭を巡らしていた。福寿の作る伝統こけしの割合は次第に少なくなっていった。

昭和28年、山中登氏を中心に新型こけしの団体である「日本農村工芸作家協会」が設立され、翌29年からは「全国こけし人形コンクール」が開催されるようになった。福寿も当初からこの協会に参加して活動の範囲を広げ、新型こけしの分野での地歩を固めて行ったが、伝統こけし界からの参加は他になく孤軍奮闘であった。伝統こけしの世界では「反逆児」とまで言われていたが、新型こけしの世界では正に「革命児」と呼ばれていたのである。昭和30年の第2回全国こけし人形コンクールでは、「福寿こけし」で朝日賞を受賞した。

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第13話:新しい道を求めて…

S29 昭和20年代も後半になると戦後の混乱も一段落し、温泉地にも賑わいが戻ってきた。世の中はすっかり欧米文化に満ち溢れ、新しいものを求める風潮が流れていた。そんな中に鳴子のこけし産業に大きな影響を与えるものが忍び寄りつつあった。「新型こけし」である。この「新型こけし」は昭和23年に白石の業者が作り始めた「どんここけし」が始まりで、その後横浜での平和博覧会に出品されて人気を博し、全国に広まったものである。こけしとは言うものの、形や描彩に制約は無く、色々なものを自由に作れるということで、旧来の「伝統こけし」を凌駕する勢いで作られていた。鳴子の土産物屋の店頭にも並び始めた新型こけしは伝統こけしを押しのけるように売れていった。

20歳台半ばに差し掛かった福寿は、これからのこけし作りに思い悩んでいた。若くて好奇心に富んだ福寿にとって、今の鳴子こけしは形態・描彩とも変化に乏しく面白みに欠けるものであった。そんな折、土産物屋の店頭に並び始めた「新型こけし」に興味を惹かれた。その自由な発想で作られたこけしに福寿は無限の可能性を感じたのである。「さて、どんなものを作ろうか!」と思った時に福寿の頭の中に浮かんだのは、秋田・新荘時代に父盛が作っていた「モンペこけし」であった。

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