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第18夜:弘道の微笑み(S33年)

Hiromichi_s33_kao_3 さて、第18夜である。先日、S氏から頂いたメールに、土湯の斎藤弘道さんが今は娘さん夫婦と一緒に生活しており、土湯の工房には時々来てこけしを作っているらしいと書いてあった。弘道さんと言えば斎藤太治郎さんの孫で、太治郎型を継承している土湯の名工である。今年の正月の友の会の例会にも、コマ入りのエジコを送ってくれていた。まだまだお元気のようであるが、時は確実に進んでいるのが実感させられた。

Hiromichi_s33_4 弘道さんのこけしで評価の高いのは、初期の昭和33年、34年作と太治郎の大正期のこけしに取り組んだ42年の作と言われている。私がこけし収集の世界にのめり込んだ理由の1つは、「こけし美と系譜」で見た太治郎、弘道のこけしに魅せられたからでもあった。33年の弘道こけしは太治郎晩年の作風を写したものであるが、晩年の太治郎は一部の収集家からは「老女の厚化粧」などと揶揄されて、好みが分かれるところである。とは言え、「こけし鑑賞」で鹿間時夫氏が指摘しているように、その「艶笑」は太治郎-弘道に引き継がれた財産であり、他の工人の真似できるものではない。私が最初に33年の弘道こけしに出会ったのは、昭和53年、新宿の京王デパートで開催された「忠蔵庵」の入札・展示即売会であった。この即売会の出品作は鹿間氏の遺品が中心であり、8寸の弘道こけしも数本あったと記憶している。それは私の購買欲を刺激するには十分であったが、8寸で1本5万円の価格では、駆け出しの安サラリーマンでは指を咥えて見ているしかなかった。

数年前、ちょっとした縁である方から昭和30年代のこけしを預かる機会があり、その中に33年の弘道こけしが入っていた。事前に頂いた写真にそれとおぼしきこけしが写っていたが、現物は私の期待を遙かに上回るものであった。大きさ尺のその弘道こけしは胴裏に一部水流れがあるが、そんなことを全く意識させない圧倒的な「微笑み」をたたえたものであった。胴底には弘道さんの自筆で昭和33年10月25日と製作日が書いてあり、鉛筆で「33.10.26」と書かれていることから、前所有者は作った翌日に入手したことが分かる。33年10月と言えば鹿間氏の写真のこけしと同時期。ただ鹿間氏の8寸と比べると、やや頭が横広気味でその分両目も離れており、より好ましい微笑みと映るのは所有者の欲得からか・・・。この後、弘道こけしは34年の「爽やかな微笑み」に移っていくのであるが、残念ながら私は未だその時期の弘道こけしを持っていない。「弘道の微笑み」への追求は未だ未だ続くようである。

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