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第26夜:紀元2600年のこけし

Takezo_2600_kao_4 第26夜は今年の正月の「ひやね」入札会で入手した高亀系のこけしの話である。このこけしを鳴子の高橋正吾さんに送っ て、こけしの鑑定と写しの製作をお願いしていたが、9日(金)に待望のこけしが届いた。 「ひやね」で落札したこけしは胴裏に「東京こけし会、第一回現地の集い、2006 7.27」などと書かれた焼き印が押されている。こけし辞典によれば、「東京こけし会」は昭和15年(紀元2600年)の3月から10月にかけて、尺こけしの頒布を行っている。その一環として同年の7月27日に鳴子にて「現地の集い」を開催し、その時に頒布されたのが今回のこけしではないかと推測される。

Takezo_2600_yakiin_4 さて問題のこけしであるが、焼き印から昭和15年の作と思われるが、署名や前所有者の 書き込みなどは一切ない。入札での出品工人名は高橋武蔵となっていたが、高亀系のこけしであることは明白だが、同時期の武蔵さんのこけしとは表情がかなり異なるように 見える。眼点が大きめで目の位置も高く、若々しく明敏な表情なのである。そこに惹かれて何とか手に入れたいと思った次第である。山形のS氏の指摘もあり、あるいは若き日の武男作かとも思って正吾さんにも伝えていた。正吾さんの見立ては、武蔵だろうとのこと。向かって右の眉目が上に流れる筆法は武蔵さん独特のものであり、本こけしの右眉目にも同様の特徴が出ているとのこと。またこの時期、武男さんは応召中であり、こけしは作れなかっただろうということであった。 ただ 「原」を送った直後の正吾さんの感想では、胴の葉の描き方が武蔵さんとは違うようだと言っていた。今回、その点を確認してみると、葉と前髪、横鬢は直次さん(武蔵次男)が描いたのではないかとのこと。特に3段重ね菊の一番下の花弁の下にも葉が描かれているのに注目していた。ここは本来なら「葉」ではなく「土」を描くべきところ。武蔵さんはそのつもりで、最下段の花弁を下寄りに描いたが、後から葉を描いた直次さんはそうとは思わないで葉を描いてしまった。そのため何とも窮屈な葉になってしまったのではないかと言う。その当時、こけしの描彩も分業で行うが当たり前で、1本のこけしを複数の工人で描き分けていたとのこと。そう言われてみると、なるほどと頷ける。

Syogo_takezo_utushi_2600 記念に正吾さんに写しを1本作って貰った。「原」に比べると胴がやや太めで短いようだ。右眉目の癖とか、最下段の窮屈な葉などは流石にそのまま写していないが、若々しい表情などは見事に再現されている。武蔵古作だけでもこれまでに5本の写しをお願いしたが、いつもそれぞれの特徴を上手く捉えている。今回の武蔵こけしの表情が他のものと違った印象を受けるのは、使用した筆の違いではないかとも正吾さんは話していた。当時一緒に生活していた正吾さんが言うのだから間違いはないのであろうが、やはり気にかかるこけしではある。誰の作であれ、この素晴らしい表情は変わらない。記念こけしとして頒布されていたのであれば、当然何本か同じ物が作られていたはずであり、それらが見つかればまた新しい事実が分かるかも知れない。1本の古作こけしが語りかけているものは実に多彩である。それがまた、こけし探求の楽しみでもある。

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