第42夜:分岐点のこけし(2)
岡崎栄治郎の所謂「雛こけし」は、その製作年代がはっきりしている最古のこけしとして有名である。雛こけしは1対として飾られたもので2本存在し、1本は蔵王温泉の仙台屋に、もう1本は東京こけし友の会に所蔵されている。そのこけしを最初に復元したのは岡崎幾雄さんであり昭和31年のことであった。その作は見事な出来で好評であったが、幾雄さんは自身の店(能登屋)の経営に忙殺され、せっかくの栄治郎型も殆ど作れない状態になってしまった。そんな状況から幾雄さんの師匠でもある一族の直志さんの元に収集家や愛好家の働きかけがあって、直志さんは栄治郎型を作るようになったのであろう。昭和35年頃のことである。
直志さんの当初の栄治郎型は仙台屋の栄治郎こけしを参考にしたものと思われるが、次第に直志さん自身の栄治郎型に変身していく。従って、昭和30年代の後半から40年代の前半頃の栄治郎型は作風に振幅が多く、色々な形態、描彩のこけしとなっていた。写真右のこけしが40年代初頃の栄治郎型で頭、胴とも横幅が広く、どっしりとしてボリューム感に溢れたこけしとなっている。
しかしこのような栄治郎型に物足りなさを感じた愛好家・収集家もおり、その中に「たつみ」の主人である森良介さんがいた。森さんの指導により多くの名品が生まれたことは周知のことである。そして、森さんは直志さんの栄治郎型に対しても、友の会の原品に忠実に作るよう指導したのであろう。そうして生まれた栄治郎型が写真左のこけしである。右のこけしと比べて、その違いは明白であろう。木地形態、描彩とも「原」に忠実に作ったものである。
その一番の証拠が胴模様の桜崩しの両脇に描かれた小花と蕾である。それ以前の直志さんの栄治郎型にも小花と蕾は描かれたことはあったが、ほんの付け足しのような感じでやがて描かれなくなってしまった。また小振りになった瞳は凛とした中にもほのかな色気を漂わせている。確かに数ある直志さんの栄治郎型の中でも出色のこけしであるのが頷ける。これ以降、直志さんの栄治郎型は一貫してこの作風で作られていくのだが、それでも次第に充実感が薄れて行くのが感じられる。そういう点からも、このこけしを分岐点のこけしとして挙げておきたい。
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