第36夜:子持ちえじこ(3)
実は「つどい」のある中目黒は私の生まれ故郷でもあった。私が生まれた昭和25年頃はまだまだ貧しい家庭が多く、私の家も四軒長屋の中の一軒であった。隣の家とは薄い板壁で仕切られている程度で、少し大声でも出せば聞こえてしまうような具合で、水は路地に掘られた共同井戸から汲み上げていた。小学校の5年生まで、この地で育ったのである。その後、埼玉、福岡、埼玉、神奈川と住所は変わり、中目黒は遠い存在となっていった。一日前の夕食のおかずもろくに覚えていないのに当時の情景は鮮明に蘇ってくるのは、当時の記憶が幼い脳裏に刻み込まれたためだろう。「つどい」には東急東横線の中目黒駅と祐天寺駅の2通りのルートで行くことができる。中目黒からのルートは5年生まで通った小学校の前を通る道であり、祐天寺からのルートは4軒長屋の前を通る道であった。祐天寺ルートで最初に「つどい」を訪れた日、私は30年も前の記憶を辿りながらゆっくりと歩いていった。往時に比べて道幅が狭く道程が短く感じられたのは大人になって目線が高くなったからなのであろうか。しかし随所に懐かしい当時の面影を残す物が残っていた。やがて長屋のある路地の入り口に差し掛かると、何とあの長屋は未だ健在だった。水汲みをした井戸も、既に使えないように封印はしてあるもののしっかり残っていた。この路地では、よくメンコやビー玉、野球などで遊んだものであった。しかしそれから数年経った頃、とうとうあの長屋は建て替えられてしまった。幼き日の思い出の源が無くなってしまったのは、時代の流れで仕方のないものの寂しいものである。
今回は北山賢一さんの子持ちえじこを紹介しようと思う。平成3年から4年頃、「つどい」のご主人は賢一さんのこけしにも相当力を入れており、毎週のように新作が届いていた。そんなある日、小さなこけしの入った袋を見せられた。開けてみると1寸5分ほどのこけしが沢山入っている。しかも全部が違うこけしなのである。小椋米吉、俊雄、泰一郎型のこけしを中心に54本ものこけしが入っていた。小さいながらも木地形態、描彩とも定寸ものと寸分の変わりもなく、正にミニチュアこけしのオンパレードと言ったところである。元々は、この豆こけしを入れる親えじこも一緒にあったらしいが、それだけ売れてしまい、豆こけしだけ残ったらしい。一本一本見ても、また一群のこけしとして見ても素晴らしいものであり早速購入した。後日、やはりこれを入れる親えじこが欲しくなり、賢一さんに頼んで作って貰った。これだけのこけしを作り分けるのは大変なものである。賢一さんには他にも色々な型のこけしがあり、それらを合わせると一体何種類のこけしを作るのか見当も付かない。その後100種類の豆こけしの入った子持ちえじこを作ったという話も聞いた。
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