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第41夜:分岐点のこけし(1)

Fukujyu_kanji_s38kao_1 さて今夜から話題を変えてみよう。ある工人のこけしを年代順に見ていくと、作風に大きな変化が見えることがある。その変化の境目に作られたこけしを分岐点(ターニングポイント)のこけしと呼ぶことにする。先ずは遊佐福寿さんの勘治型こけしで、このターニングポイントを探ってみよう。

周知の如く、福寿さんの勘治型は昭和27年3月に土橋慶三さんが西田さん所蔵の有名な勘治のこけしを鳴子に持参し、それを盛、盛雄、福寿の親子に見せ、その写しを作らせた時から始まる。その時は盛、福寿の両名が写しを作り、その後、勘治型として老舗「高勘」を代表するこけしとなっていった。この時のこけしは写しであるため、西田勘治にかなり忠実に作られたが、その後の盛さんの勘治型は勘治のこけしを盛さんなりにイメージしたこけしとなっていった。福寿さんもその後勘治型を作るようになったが、これも「原」に忠実な作ではなく、福寿さんなりにアレンジしたこけしであった。

昭和20年代の末から30年代の前半にかけては、福寿さんのこけしへの関心は新型こけし(創作こけし)に向いており、それは仕方のないことでもあった。その新型こけしの分野で福寿さんは内閣総理大臣賞を受賞して最高峰を極める。昭和35年のことである。この最高賞を受賞したことによって、福寿さんのこけしに対する考え方に変化が生じたのかも知れない。また、伝統的なものが見直されてきた世の中の風潮や収集家・愛好家などの働きかけがあったのかも知れない。

Fukujyu_kanji_bunki_hikaku 昭和38年2月に開催された第1回こけし人形展に福寿さんは勘治型原寸の伝統こけしを出品し、見事に第1位優秀賞を受賞したのである。これを契機として福寿さんは新型こけしから離れ、伝統こけし一本に絞って製作を続けることになる。写真右は30年代前半の勘治型。頭は大きく丸く、胴も太くどっしりとしていて木地形態は立派な勘治型であるが、顔の描彩には何となく新型こけしの影響を伺わせる。胴模様には西田勘治を模した2輪の菱形菊を描いているが蕾はない。一方左のこけしは38年頃の作で、こけし人形展に出品したのはこのような勘治型ではなかったかと想像する。

平井敏雄氏のFukujyu_kanji_s38domoyo著書『こけしを食う虫』には昭和37年の勘治型が掲載Fukujyu_kanji_s38domoyor_1 されているが、そのこけしは頭部の描彩は写真左のこけしとほぼ同じであるが、胴模様は西田勘治型の様式である。本こけしで一番注目すべきなのは胴模様である。大輪菱菊を2輪描いているのは右と同じであるが、左では菊花の間の横葉が無く、4つの蕾が添えられている。これは、深澤要さんが鳴子に寄贈した「深澤勘治」の様式である。

更に子細に見てみると、4つの蕾の花弁は上2つは2弁であるが、下は向かって左が3弁、右が1弁となっており、これも深澤勘治と同一なのである。翌39年には、この勘治型で全日本こけしコンクールの通産大臣賞を受賞するのであるが、そのこけしでは蕾の花弁は全て2弁になっており、以後基本的にはこの様式が踏襲される。

このような分析から、このこけしが昭和38年作のものであり、以後、本格的に勘治型を作っていく出発点になったこけしと判断したのである。約50年に及ぶ福寿さんの勘治型製作の歴史の中で、このこけしの前後でその作風は大きく変わっており、正にターニングポイントのこけしと言えるだろう。

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