第66夜:30年代のこけし(1)
まずは遠刈田系の菅原敏さんのこけしを見てみよう。敏さんは秋保温泉の菅原庄七の長男で昭和12年の生まれ。平成4年に54歳の若さで惜しくも亡くなっている。昭和35年より父庄七に就いて木地修業を行ったが、こけしは31年(19歳)より始め33年作が「ガイド」に載っている。当初のこけしは庄七のこけしをそのまま真似たものであり、庄七名義の敏こけしの存在は周知のこととなっている。写真のこけしは昭和34年のもので初期作と言ってもよい作品。当時の庄七こけしと瓜二つと言ってよいであろう。大きな頭に太い胴、胴上下には太い緑のロクロ線が入り、面描は大きな前髪に赤い多数のカセが華やかに描かれている。薄っすらと頬紅をひいた穏やかな瞳はかすかな微笑をたたえ、晴れ着を着た山村の幼子を思わせる。昭和30年代の日本では、お祭りなどの「ハレの日」にはあちこちで見られた風景でもあった。
さて写真3左は52年の作。敏こけしの標準型で一般的に良く見かけるこけしである。同じ8寸のこけしであるが、頭は縦長になりその分、胴は短くなっている。胴は緑の色が薄くなって重ね菊もかなり様式化しているのが見て取れる。描彩の違いは面描で顕著であり、平筆で描かれた前髪と横鬢は版で押したように動きがない。眉、目、鼻、口いずれも画一的で老けた表情になってしまっている。もはや山村の乙女を思い浮かべるのは難しいと言わざるを得ないのである。しかし40年代から50年代にかけての「こけしブーム」の時代には、このようなこけしが飛ぶように売れていったのである。それが当時の世の中の風潮であり、こけし工人もまたその流れの中で押し流されていったのであろう。
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