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第73夜:「美と系譜」のこけし(9)

Tatuo_kota_s41_kao ここ数日話題にしている幸太型のこけしに関して、「系譜」には慶治、春二、慶美の他にもう一人、佐藤辰雄のこけしを掲載している。辰雄さんは今三郎の孫にあたり幸太の直系である。そのため幸太型のこけしは本人型や今三郎型と共に自身の代表作として長年作っている。従ってその間に辰雄さんの幸太型も相当に変化している、今夜は、その辰雄さんの幸太型について話をしよう。

Tatuo_kota_s41 佐藤辰雄さんは昭和3年の生まれ。木地は祖父の今三郎に習い、昭和25年よりこけし製作も始めた。「系譜」に掲載されている幸太型は昭和41年3月の作。もはや幸太型として完成された時期のこけしである。本稿掲載写真のこけしは胴底に「41.1.16」の書き込みがあり、「系譜」手よりはやや古い作品である。やや大きめで逆おむすび形の頭に、裾にかけて広がった三角胴を付けている。肩の部分はやや丸みを帯びているが、そのまま頭に繋がっていて、春二のような段は未だ付いていない。目鼻はこじんまりとして、顔の中心に集中している。胴下部に2本の深い鉋溝があり、その上に4色で帯状のロクロ線を引いている。簡素な中にも鮮やかな色彩のこけしになっている。

Tatuo_kota_s41_hikaku 辰雄さんの幸太型は昭和30年代から作られており、写真3左のこけしは胴底に「37.10」の書き込みがある。春二さんの幸太型が35年からなので、辰雄さんも程なく幸太型を始めたことになる。41年作と比べると頭は小さく、胴もほっそりとしていてスマートな木地形態である。頭部に描かれた放射状の赤い飾りも小さめで、瞳も目を伏せたようなおとなしい表情である。初期作の初々しさと言おうか、30年代のこけしの素朴さと言おうか、並べてみるとその変化が良く分かるのである。これ以降、辰雄さんの幸太型は春二の幸太型と同様に肩に段が付いて精悍なこけしになっていく。そして40年代の末からは、それまでの一側目に下瞼が付くようになり、昨夜紹介した慶美の幸太型のように変わっていくのである。

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