第76夜:30年代のこけし(2)
「木の花(第五号)」の<戦後の佳作>は遠刈田の佐藤照雄さんを取り上げている。照雄さんは佐藤豊治の長男で大正8年の生まれ。こけしは戦前から作っているが、本格的に作り出したのは戦後で、それも30年代の前半までは新型が中心であった。35年頃からは旧型こけしの復興により一筆目のこけしを作り始めたが、39年頃までは本人型と静助型の2種類を作っていたと「木の花」は述べている。この30年代後半の本人型は参考文献にも見あたらず、39年作が「木の花」で『佳作』として掲載されている。さて、本稿掲載品は製作年代を示すものは特にないが、このこけしが含まれていた収集品の製作時期が30年代の中頃であることから、一応35年頃としておこう。撫で肩の胴に「木の花」で特徴とされた『縦長角形の頭』を付けている。一筆目であるが、何とおおらかで鄙びた表情なのであろうか。39年の本人型と比べれば、その味わいの違いは明白である。確かに、「木の花」の39年作は『佳作』に相応しい完成度の高いこけしに仕上がっている。それは40年代に加速する「こけしの近代化」の先駆けとも言えるだろう。その過程で失われてしまった「こけしの温もり」がこの35年作では感じられると言えないだろうか。
40年代の同寸の『静助型』を写真3(左)に掲載する。丸頭に裾にかけて広がった三角胴、40年代以降に作られた典型的な静助型である。湾曲の大きい一筆目は明るい微笑みを湛えていて屈託がない。「木の花」では41年作の静助型を『佳作』としているが、静助の雰囲気という点では、本作の方が出ているのではないか。胴の紫のロクロ線が退色しているのが惜しまれる。照雄さんは一側目のこけしも作っているが主体は一筆目。その一筆目もこうして眺めてみると、時代時代に応じて微妙に変化しているが、「木の花」掲載品も含めてなかなかの力作を作っているのが分かる。こけしの奥深さをみると共に、こけし収集の楽しみでもある。
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