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第125夜:福寿大正型考(2)

Fukujyu_taisyo_s44kao 今夜は昨夜に引き続き、福寿さんの大正型を考察してみたい。昭和43年秋に最初に作られた大正型は西田コレクションの大正期盛こけしを元にしたものであることは昨夜述べた。写真で見るように、それらは頭頂部の水引や胴の放射状の正面菊の模様などに、その後の福寿さんの大正型とは異なる点が見られるので、特に「初期大正型」と呼んでみた。この大正型は翌44年になると変わってくるので、今夜はこの44年の大正型を取り上げてみたい。

Fukujyu_taisyo_s44 ・・・には、昭和44年に民芸店「ねじめ」の主人が「こけし鑑」の写真により福寿さんに大正型の製作を依頼して出来上がったこけしが掲載されている。本稿のこけしと同型のものである。この大正型こけしを43年の初期大正型と比べてみてまず目に付くのは胴模様である。正面菊が放射状から下から燃え上がる炎ような形に変化し、更に中央部の添え葉が茎の付いた左右2葉ずつのペアに変わっている。また、頭頂部の水引もくねった3筆描きになっている。このことから、「ねじめ」が送った「こけし鑑」の写真は「原色版」であったことが分るのである。ところがである。「こけし鑑(原色版)」の写真は正面から写したものであり、頭頂部は写っていない。福寿さんは頭頂部の水引の様式をどうして分ったのであろうか? 「ねじめ」の主人は知っていたのであろうか。少なくとも誰かがこの水引の様式を福寿さんに教えなければ、この様式の水引に変わることは考えられない。

Fukujyu_taisyo_s44_hikaku 更にもう1点疑問が残る。それは頭頂部の紡錘状に束ねた髪の根本、前髪との接点に黒1筆の元結が描かれていないことである。これはこの44年作だけに見られる特徴で、他の古鳴子型のこけしでも同様である。単に描き忘れた訳ではないのである。当然、そのような描彩のこけしがあったのではないか、あるいは誰かがそのようなことを福寿さんに教えたのではないかと推測されるのである。

初期大正型、盛の原こけし、44年の大正型を並べて見た。44年の大正型に盛の原こけしの影響が出ているのは明らかであるが、肩から肩の山部分の形態とロクロ模様は明らかに異なっていることが分る。それが何を意味するのかは今のところ不明である。その辺りの経緯をご存知の方がいれば、ぜひ聞かせて貰いたいものである。

Fukujyu_taisyo_s44_tegara_2 

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