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第127夜:是隆さんの初期勘治型

Koretaka_kanji_s55kao 第40夜の「つどいの頒布(4)」で滝島茂さんの勘治型こけしを取り上げた。平成4年の話であるが、その時点でも勘治型の製作は「高勘」の血縁一族にしか許されていなかった。昭和40年代から50年代にかけての所謂「こけしブーム」の頃には勘治型も人気のあるこけしで、盛雄・福寿両氏の勘治型もなかなか入手難であった。滝島茂さんと共に腕の良い工人である柿澤是隆さんがそんな勘治型を作りたかっただろうことは想像に難くない。しかしそれは禁を犯しての挑戦でもあった。今夜はそんな想いが込められた是隆さんの初期勘治型を取り上げてみたい。

Koretaka_kanji_s55 このこけしは知人から頂いたもので、胴底に「昭和55年 勘治型初作」と記されている。前所有者が書いたものであろう。昭和40年代の後半まで、是隆さんは福寿工房の職人として福寿さんのこけしの木地も挽いていた。当時、福寿さんのこけしの主力は勘治型であったから、是隆さんも勘治型の木地形態は挽き慣れていたと思われる。この勘治型がどのような経緯で作られたものなのか是隆さん本人にも未だ聞いていない。自分の意志で作ったのか、それとも収集家や業者の働きかけがあったのであろうか。この勘治型を作るに当って是隆さんが参考にしたのは、良く見慣れていた福寿さんの勘治型であったに違いない。このこけしの描彩も当時福寿さんが作っていた「深澤勘治」をモデルにしたものである。面描では太い眉や二重の目など、丁寧に描いているのが分る。まだ手馴れていないのは仕方のないことで、勘治型に真剣に取り組んでいる姿勢が伺われる。長年指をくわえて見ていた勘治型への挑戦に是隆さんの気持ちは高揚していたことだろう。ぎこちなさが見える面描に比べて、胴模様は闊達で華麗である。そもそもが見栄えのする勘治の菱形正面菊の胴模様は福寿さんにより一層華やかなものになっていたが、是隆さんも見劣りはしない。胴に引かれた「高勘」伝来の2本の黄線が鮮やかさを増幅させている。

Koretaka_kanji_s55_hikaku しかしこの勘治型こけしは勿論おおぴっらに作ることは出来なかったのである。その後、東京などで忠蔵庵の主催による個展が開かれた折には勘治型も作ったようである。しかしそれでも忠実な勘治型を作ることに対して、是隆さん自身にも戸惑いはあったのであろう。その後の勘治型は写真(3)左のように、胴が細身になって目尻が釣り上がり気味のこけしになっていく。勘治型というよりは勘治風のこけしと言った方が良いのかも知れない。是隆さんが本格的な勘治型を作り始めるのは、福寿さんが亡くなった平成13年になってからのことである。

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