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第167夜:ピーク期とその周辺のこけし(文男)

Fumio_ushizo_s46kao こけし収集を初めて間もない頃、私は遠刈田系の佐藤文男さんのこけしを熱心に集めていた。昭和40年代の末から50年代の前半にかけての頃で、当時、下井草にあった民芸店「おおき」に足繁く通っていた。文男さんが丑蔵型を初めて数年が経っていたが、未だ盛んに丑蔵こけしの写しを作っていた。新しい写しが入荷するととにかく購入していた記憶がある。その時集めた文男こけしの多くは今は手元から離れてしまった。最終的に残った数本を先日改めて眺めてみたので、今夜はその紹介をしたいと思う。

Fumio_ushizo_s46 私が文男こけしに熱を上げていた頃、その原点である丑蔵こけしは1本も入手していない。当時はこけしブームの頃で、丑蔵こけしで特に優品と呼ばれるようなものは簡単には入手出来ない時代でもあった。だから勢い丑蔵こけしへの想いを文男こけしで満たしていたのかも知れない。文男さんのこけしは整った瑞々しいこけしで私の好みとも一致していたし、写しの収集にも熱中していた頃でもあった。それから時が経ち、集まった文男こけしを見てると、確かに整っていて良いこけしではあるのだが1本1本の特徴に乏しいと感じるようになっていた。この点が丑蔵こけしとの一番の違いなのではないかと。また、写しは上手すぎて結局写しで終わっているのだと・・・。

そうして残った文男こけしは後日中古で入手した初期の丑蔵型であった。太い筆致は勢いがあって泥臭さも伺われる。湯田時代の丑蔵こけしの風情が十分に感じられる。「こけし手帖(303号)」の中で可部忠雄氏が文男追悼文として、文男さんの丑蔵型への挑戦の過程を述べており、44年頃からピークに向かい始め46年から47年の初め頃に丑蔵型としてピークに達したと述べ、写真も掲載している。本稿のこけし(8寸)はくり抜いた胴底に「1971.5.9」のペン書きがあり、手帖掲載の⑥のこけしと同種と思われる。可部氏は文男さんの最大のピークは47年1月の8寸と尺と述べているが、残念ながらその写真は掲載されていない。私はその頃のものではないかという尺のこけしを持っているが確証はないので、ぜひそのピークを言われる時期の文男こけしを見てみたいものだと思っている。

Fumio_ushizo_s46_hikaku さて、昭和40年代の末から文男さんの丑蔵型は洗練されていく。それに伴い湯田の面影が次第に薄くなり、完全に遠刈田系のこけしとなっていくのである。写真(3)左は51歳作の湯田型で木地形態、描彩とも素晴らしい出来である。しかし右のこけしと比べると味が異なっているのが分かる。どちらのこけしが良いかは好みの分かれるところであろうか。

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コメント

こけしファンの重鎮?の皆様から御覧になったらば完全に「乗り遅れた世代」のこけりんでございます。訳あって手放しましたが、私の所有していた文男さんのこけしは「文助型」の尺でした。天理参考館あたりが所有しているものたちの「たどたどしさ」から一皮剥けた、墨色と澄んだ瞳が美しいこけしでした。そして、どうしたものかこれを買った時以降「文助型」を行く先々の店で殆ど見たことがないのです。「丑蔵型」よりは制作数が元々少なかったのかもしれませんが、いささか?です。

投稿: こけりん | 2008年4月 4日 (金) 14時31分

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