第195夜:昨日のヤフオク
「こけし辞典」の『高橋盛』の項を改めて読んでみると、盛さんが秋田に移ったのは昭和14年1月とある。さて、出品こけしの胴底には、署名と同一字体で『昭和十三年十二月十四日』とはっきり記されている。とすると、このこけしは秋田に行く直前の盛こけしということになる。これで俄然、このこけしに興味が湧いてきたのである。実は私には盛こけしに関して1つの疑問があった。それは、戦前の鳴子時代と秋田時代の盛こけしの面描がかなり異なることである。鳴子時代の面描、特に目の描彩は、眼点が大きめで目が顔の中央寄りで緊張感に溢れたものであった。一方、秋田時代の作では、目の位置が下がり、眼点は小さく、しかも外寄りに描かれているために大らかな表情になっているのである。これは生活環境が変わったこと、また秋田時代の作には皆川たみ子描彩のものも混じるなどが理由と思っていた。
今回、最初にこの出品作を見た時点での印象は、盛さんにしては目の位置も低くやや甘い表情のこけしだなあというものであった。丸く大きな眼点は昭和初期のそれではなく、戦後直ぐ(昭和20年代前半:第54夜参照)の眼点に共通するように思えた。これも最初にこのこけしを見送ろうと思った理由であった。しかし、このこけしが秋田に行く前の盛こけしだとすると、秋田時代の盛こけしの特徴が既に現れているということになる。すなわち、盛さんのこけしは秋田に行って変わったのではなく、鳴子にいた時点から変化しつつあったということなのである。従って皆川たみ子さんは、その盛こけしの描彩を引き継いだのであろう。もう1つの疑問は眼点の大きさである。この出品こけしも、戦後直ぐ鳴子に戻ってからのこけしも眼点は大きいが、秋田時代の作は眼点が小さい。秋田時代の作は残っている物が少ないということもあり、また前述のように皆川たみ子さんの描彩も含まれているということから、その全貌は明らかではない。今後、更なる追求が必要であろう。
というような経緯もあって、締切直前に入札に参加した。しかし強力な競争相手が出現してきて、2度3度と価格の更新を繰り返した後、結局断念した。従って、本稿には出品時の写真を掲載させて頂いた。出来れば手元で見て、もう少し詳しく調べたかったのであるが、それは次の機会を待つことにしたい。
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