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第201夜:鳴子駆け歩き(3)

Hideo_s37_kao 今夜は鳴子訪問の第3回目である。福寿さんのお店を辞して外に出るとかなり雨が降っていた。時間は12時少し前で昼食に行こうと思ったが、取りあえず大沼秀雄さんのお店に顔を出す。大切なこけしの入ったバッグを置かせて貰って食事に出る。久し振りの鳴子の街を端の方まで歩いてみる。町の佇まいは昔とあまり変わりないように思えるが、昔はこけしが一杯置いてあった工人さんの店も少なくなり、時の流れとこけし界の厳しい現実を見る思いであった。こけし通りの食堂で鴨セイロの昼食をとり、13時を回ったいたので、秀雄さんのお店に引き返した。

Hideo_s37_syomei 今回、大沼さんのお宅を訪問した目的は2つあった。1つは秀雄さんの30年代のこけしについてお話を聞くこと。もう1つは秀顕さんにこけし製作のお願いをすることである。本稿掲載のこけしは昨年「ひやね」の紙上即売で入手したもの。あどけない表情と保存の良さに惹かれた。説明書きに「深沢蔵品」というコメントがあるのも気になっていた。写真②はその胴底で、秀雄さんの署名の他に書き込みがあり、これが秀雄さんが書いたものかどうかを確認することも目的であった。書き込みは「”羨こけし”出版を記念して 深沢」とある。深 沢氏の著書「羨こけし」は昭和37年に出版されている。それを記念したこけしを秀雄さんが作ったのかどうかも確認したかった。秀雄さんは暫く書き込みを見ていたが、署名は自分だが書き込みは自分ではないという。「羨こけし」を出版された深沢欣さん(深沢要氏の奥さん)が書いたのではないかということであった。またそのために特別に作ったこけしではなく、その時に作っていたものを差し上げたということであった。それにしても保存が良いと、秀雄さんの奥さん、秀顕さん共々感心しておられた。

Hideo_s37_2 ついでに、秀雄さんの初期のこけし(30年代)の胴模様は「重ね菊」が殆どで「車菊」は見かけないことを聞いてみた。秀雄さん曰く、秀雄さんに描彩を教えて呉れたお母さん(みつをさん)が「車菊」を描かなかったからという。そう言えば、みつをさんのこけしは「重ね菊」と「楓」しか見たことがない。そのことを秀雄さんがみつをさんに聞くと「竹雄さんから描けと言われなかったから」と答えたそうである。そんな訳で秀雄さんも「車菊」は描かなかったが、ある時親戚筋にあたる石原日出男さんから「車菊」を描くように勧められたのだそうである。石原日出男さんは新型(創作)こけしの作者であるが描彩が巧みであり、伝統こけの木地に各種の描彩をしたものが知られている。しかし「車菊」はない。「車菊」は大沼家の胴模様であり、それは秀雄さんが描くべきものと心得ていたからなのであろう。(「こけし 美と系譜」や「こけし事典」には「車菊」を描いた秀雄さんの30年代のこけしが載っているので全く描かなかったという訳でもなかったのであろうが・・・)

最後に、秀顕さんに、昨年友の会で入手した竹雄こけし(第146夜参照)を作って貰うお願いをしてきた。「写し」ということではないが、竹雄こけしの特徴を取り入れて呉れるよう依頼した。更にそのこけしには「プラスα」も付けて貰うことにした。それがどのようなものになるかは出来てからのお楽しみである。後日、本ブログで紹介したいと思う。

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