第200夜:鳴子駈け歩き(2)
今回の鳴子訪問の目的の1つに福寿さんの署名の調査があった。写真①は福寿さんのこけしの胴底の署名である。福寿さんの署名は昭和20年代は「福寿作」や「高橋福寿作」となっており、特に「寿」の字の下部が「の」字状になっているのが特徴である。また30年代半ば以降になると「福寿」または「遊佐福寿」となる。「寿」の字は普通の字体となる。今回の「署名」はそれらとはちょっと異なる形式であり、前から気になっていたのである。
「高勘」では昭和30年代に入って、盛さんが胴底の丸い鉋溝の中に「盛作」と記入したことからこの形式が引き継がれるようになり、盛雄さんに至ってかなりデザイン化されたものとなった。それは息子の敏文さんや甥の義一さんも倣っている。本稿の福寿こけしの署名は正にこの形式になっており、福寿さんもこの署名をしていたことが分かるのである。問題はその署名がいつ頃使われていたかという事なのである。今回、節子さん(福寿さんの奥さん)に会って聞いたところでは、結婚後にこの形式の署名をしていたということなので、昭和32年以降ということになる。
昭和30年代前半、福寿さんのこけし製作の中心は新型(創作)こけしであり、伝統こけしは作っていたもの数は少なく目にする機会もあまりない。ところが幸いなことに新型こけしであっても署名は伝統こけしと同じに書いているのである。そこで新型こけしも含めて30年代前半のこけしを集めて、その署名を比べてみることにした。写真②は右から、「縄文こけし」、頭頂に髷の描かれた伝統こけし、「南国の踊り子」、勘治型、
普通型(2本)、「宝珠」、「ぼく」である。写真 ③はその署名。縄文こけしの署名は「寿」の字体が「の」字状。次の髷こけしも「の」字状であるが遊佐福寿と書いてあることから、結婚後も「の」字状の署名がされていたことが分かる。次ぎの「南国の踊り子」と勘治型は全く同形で写真①と同様。普通型2本も同形であるが、左の8寸はデザイン化された字体ではない。内閣総理大臣賞の「宝珠」と農林水産大臣賞の「ぼく」はそれ以降に連なる「福寿」の署名である。
さて年代推定であるが、「縄文こけし」は昭和33年のコンクールで賞を取っている。「南国の踊り子」は昭和33年と34年に賞を取っている。そして「宝珠」と「ぼく」の受賞は昭和35年である。それぞれのこけしは数年に渡って作られており、時期によって署名も違っている。「縄文こけし」と「南国の踊り子」で署名が違うことから、「縄文こけし」を33年頃、「南国の踊り子」を34年頃とするのが妥当ではないだろうか。あるいはそれぞれを1年位前倒しすることも出来るかも知れない。いずれにしろ、「南国の踊り子」の署名を決め手とすれば、今回の署名は昭和33年から34年頃とするのが妥当ではないかと思われる。「高勘」本家では延々と続いたこの形式の署名が、福寿さんでは僅か1、2年で消えてしまったのは何故なのであろうか。それについての私の考えは別の機会にしたいと思う。
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