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第211夜:写しと型(考)2

Sakari_kanji_s27a_kao 今夜は前夜の話の続きである。以前は「復元」という言葉を良く使っていた。しかし「復元」というと私的には言葉の範囲が広く、ちょっと曖昧な気がしていた。そんな折、大阪こけし教室の「教室だより(復刻版)」を読んでいて、丹羽義一氏の「写しと型」と言う掲載記事を読んでみると、これが私の考えとも一致するので以後使わせて貰っている。最も丹羽氏の言う「写し」とは、その材料から染料に至るまで「原」と同じにする必要があるとのことであるが、私の「写し」にはそこまでの厳密性は求めていない。というよりも、そこまでやるには今では相当大変な作業になるからである。

さて、戦後の写しの先駆けとなったのは、鳴子の高橋盛一家による勘治型の製作である。昭和27年3月、土橋慶三氏は西田峯吉氏所蔵の勘治のこけしを抱えて鳴子を訪れ、勘治型の製作を勧めたのである。その時、福寿さんは3本の勘治こけしの木地を挽き、2本には盛さんが描彩を行い、1本は福寿さんが描彩をした。福寿さんのこの勘治写し(初作)は良く知られるようになったが、盛さんの勘治写しは文献等でも紹介されていないようだ。数年前、「ひやね」の入札にこの福寿作勘治写しが出品された。その時に盛作の同様のこけしも出品されていた。福寿作の胴底にはそれと分かる書き込みがあり、直ぐにそれと分かったが、盛作には明確にそれと分かる書き込みはなかった。それから程なくして、「ひやね」の入札に同じような盛作の勘治型こけしが出品された。前作は退色が激しく飴色になっていたが、こちらは胴の黄色も残る保存極美のこけしであった。ところがこのこけしには入札がなく、開票後に「ひやね」を訪れた私のところに来ることになったのである。

Kanji_sakari_fukujyu その後、西田記念館にて、「高亀と高勘」のこけし展示があり、西田勘治とその福寿写しが展示されることになった。その折、持参の盛写し(と思われる)と3本を並べて写真を撮らせて貰ったのが、本稿の写真(2)である。中央が西田勘治、左が福寿写し、右が持参した盛作である。この盛作の勘治写しについてもう少し話してみよう。前述したように、昭和27年に鳴子で作られた勘治写し3本は土橋氏が持って帰ったのである。土橋、西田共著の「こけし」(美術出版社、昭和31年7月25日発行)の巻頭2枚目のカラー写真に本作と良く似た盛作の勘治型こけしが掲載されている。顔の描彩などうり二つであるが、2輪正面菊の上側の菊の描彩が明らかに異なることから、本作とは別物と分かる。私は相前後して「ひやね」に出たこの2本のこけしが、盛さんによって作られた勘治写しなのでないかと考えている。(ちなみに、これ以降作られた盛さんの勘治型は、もはや写しではなく、盛勘治型のこけしになっている)

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