第224夜:久太郎のこけし
久太郎さんの父久四郎さんのこけしはこけし界の横綱と言われ、マニア垂涎のこけしである。それを継承した久太郎さんのこけしもまた優れたもので、山深い木地山までこけしを求めて多くの収集家が訪れたものである。久太郎さんは明治39年の生まれ、13歳の頃から木地修行を始め、父久四郎の木地下も挽いていた。昭和7、8年代は久四郎の模索時代で、12年以降は久太郎名義でこけしを作り、19年までは所謂団子梅時代と言われている。「こけし辞典」の鹿間氏の解説によれば『戦後しばらく全形久四郎風ながら描彩繊細で力の乏しい物が続いた。33年5月友の会旅行会で久四郎の摸作を始め、古風を復原し、また43年の旅行会でも久松久四郎を復原したが、力強い傑作で間然するところがない。』となる。
さて、本稿掲載のこけしはいつ頃の作であろうか。「小椋久太郎と第十回伝統こけし三十人展」の冊子に『回想の木地山』という小野洸氏の文章が載っており、その掲載写真にほぼ同型こけしが出ている。そのこけしは昭和29年、東京こけし友の会が三越でこけし展を開いた時に求めたものとある。頭は楕円状で縦に長く、胴も細身で長く肩が張っている。まっすぐ横に引いた眉毛、明敏な瞳、やはり真横に引いた口は下に紅を添えて、かすかな微笑みを浮かべている。凛々しい秋田おぼこそのものである。本稿の久太郎は胴の梅が横広でなく丸に近い。年代的には29年をやや遡るのかも知れない。鹿間氏の解説では、この時期の久太郎は評価が低い。久四郎を最上のものとする鹿間氏なら仕方のないこと。しかし久四郎を一旦横に置いてこのこけしを見つめてみると、久四郎とは別の久太郎自身のこけしが見えてくると思う。復元(写し)に毒されていない久太郎本来のこけしを大切にしたい。
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