第248夜:大野栄治のこけし
大野栄治は明治37年の生まれ、大正15年、16歳の時に小倉嘉三郎に弟子入りして木地修業を始めた。昭和4年に北海道に移住し、昭和6年からは川湯温泉で木地業を続けた。戦前は昭和16年まで製作を続けたが、その後休業し、戦後は昭和26年より復活した。
さて、今回入手したこけしであるが、最初に見た時の印象は「原卿のこけし群(第二集)」の<149>に表情が近いかなという感じであった。眉太く剛直でちょっと野武士を思わせる風貌である。良く見かける栄治の愛らしいこけしとは異なる趣がある。ここから、このこけしは古いもの(戦前)という思いが出てきた。そこで「こけし辞典」を調べてみると、戦前と戦後の識別点として、(1)胴底のロクロ爪の位置、(2)前額飾りの赤点の有無の2点が挙げられている。戦前作の条件は(1)については4つのロクロ爪が全て同じ方向、(2)については3つの黒山の間に赤点が入らないこととある。この鑑別法によると、本稿のこけしは(1)では戦前作に、(2)では戦後作ということになってしまう。いずれにしろ、このこけしが戦前・戦後の境目に位置するものであることが想像された。
そこで、文献から類例を探してみることにした。戦前は昭和16年まで製作をしていたとあるが、手元の資料ではその近辺のこけしは見つからない。 一方、戦後の作は「美と系譜」に昭和27年作と28年作が載っているが、27年作の方は眉太く、本稿作と似ないでもない。但し表情は優しい。また、戦後の栄治こけしは胴の太さに比べて頭が横に広く大きい傾向がある。「原卿のこけし」<146>は本稿作と同型のこけしであるが、頭の形と表情の違いは明らかである。また、前額飾りの赤点であるが、本稿のこけしでは極小さく筆先をちょんと付けた程度であるが、戦後作ではかなり大きくしっかりと描かれている。このようなことを総合して判断すると、今回入手した栄治こけしは、昭和15年前後の戦前最後期か昭和26年の戦後の復活初期のこけしと考えて良いであろう。そういう意味では貴重なこけしであり、大野栄治のこけしについて調べる良い機会を与えてくれたものと感謝している。.
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