第274夜:酒井正進のこけし
「こけし辞典」によれば、中の沢(土湯系)の酒井正進は明治32年の生まれ、中の沢温泉で土産物店を経営するかたわら、戦前から岩本芳蔵の木地に描彩したこけしを製作したとある。文献での紹介は昭和10年の『木形子談叢』が最初。「らっこコレクション図譜」には昭和13年作が、また「こけし辞典」には昭和16年作の写真が掲載されている。この2書に掲載された正進こけしはどうも表情が弱く、本稿のこけしとはやや趣が異なるように思える。
今日、たまたま古い「こけし手帖」を見ていたら、第89号に小野洸氏の『中の沢こけしを確かめる』という記事を見つけた。小野氏と言えば中の沢こけしを愛し、芳蔵に善吉型を復元させた功労者である。その中に酒井正進に関する記述とこけしの写真(3本掲載)を見つけた。その中で小野氏は、『写真3の左端のこけしは昭和30年1月に求めたもので、酒井作の署名があるが、この時にすでに代作のこけしが売られていたのである。正進は昭和8年からこけしを描いていることは確かだ。筆がよく走るし、うまい人だと芳蔵が言っているように、少なくとも正進作といえるこけしは昭和30年以前のものといえる。右の2本は正真正銘の正進の作で、戦前のものである。』と。ここで戦前作と言われているこけしは写真が鮮明ではないが、なかなか鋭い表情のこけしに見える。ただ本稿のこけしでは異なる点も目に付く。先ず木地形態、これまでに紹介した文献の正進こけしはいずれも肩がこけているのである。本稿のこけしは肩は丸く張っている。但し、胴底は鋸で雑に切り離したもので真っ直ぐには立たない。また、頭の形も他のこけしは横に広く平らで、頭頂部の蛇の目の位置も下がっていて、前髪も中央部が上に凹んでいる。一方本稿
のこけしは頭は横広ではなく、蛇の目の位置も高く、前髪も中央部が下に凸である。更に横鬢も真っ直ぐに下に下ろしたものではなく、内側に婉曲している。また二重の瞼は目尻、目頭とも離れており、その細く鋭い表情は昭和初期の福松(「らっこコレクション図譜<63>」を参照)を思わせる。今までの正進こけしのイメージを一新させたと言っても過言ではなく、間違いなく正進こけしの代表作に挙げられるこけしである。中の沢のこけしは善吉型以外にも魅力のあるこけしが隠れているのではないだろうか。そのようなこけしを見つけるのも、こけし収集の醍醐味と言えるだろう。参考に、4枚目の写真が小野氏の記事で「代作」と言われた昭和30年代に正進作として売られていたこけしである。
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