第276夜:佐藤辰雄さん逝く
本稿掲載のこけしは中古で求めたものである。胴底に「小野宮惟喬親王遷宮記念」というゴム印が押してあるが、浅学の私にはそれがいつのことなのか分からない。「こけし辞典」によれば、辰雄さんは昭和25年からこけし作りを始め、『30年代初の作風は目鼻を顔の下部に描きより童顔の俤があった。』と記され、昭和33年5月の写真が掲載されている。本稿写真(2)左のこけしは大きさ5寸、辰雄さんの型からすると本人型に分類されるのであろうが、素朴で可憐、いかにも弥治郎らしい玩具っぽい風情が愛らしい。首下の小さな赤い襟巻も良いアクセントになっている。描彩などの特徴は「こけし辞典」掲載のこけしとほぼ合致するので、30年代前半のこけしと言ってよいであろう。写真(2)右のこけしは3寸で、胴底に「1964.1月」の書き込みがある。30年代後半になると、眉目の位置が上がり、わん曲も少なくなって精悍な表情となる。弥治郎の古き良き時代は30年代前半で終わってしまうのである。30年代後半からは幸太型の復元も始まり、他の産地のこけしと同様、近代化の道を進むことになるのである。
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