第279夜:正規さんの庸吉写し
鳴子系の鈴木庸吉は明治15年の生まれ、母が高野幸八の姉だった縁もあり、明治31年より幸八について木地修行をした。明治35年に鳴子を離れてからは各地に足跡を残している。こけしは明治時代から作っていたものと思われるが確認されていない。昭和14年9月に滑津にて深沢氏により発見された。それ以降に作られたこけしは3タイプに大別される。先ず、深沢氏の訪問により復活した初作(Aと呼ばれる)。次は昭和16年春に菅野新一氏の要請で作ったものと鹿間氏が16年10月に入手したもの(B)。そして最後が、庸吉が仙台に移ってから作ったもの(C)である。(A)の作例は<こけしの美(単色版)>、(B)の作例は<原卿のこけし群(74)(75)、こけし鑑賞>、(C)の作例は<原卿のこけし群(76)>に掲載されている。
さて、岸さんのこけしを見てみよう。写真(2)の右端は昭和54年9月7日に「第25回全国こけし祭り」の際に足踏みロクロで挽いたもの。岸さんの本人型であるが、細みの形態で黄胴に大胆な胴模様と可憐な表情が古鳴子を思わせ素晴らしい。同年7月に開催された「第7回伝統こけし30人展」にはこの型で入賞している。この型は54年頃から作られたと思われるが、その後の庸吉型を関係があるかは分からない。ただ、このように並べて見ると一連の流れの中に入ってもおかしくない。右から2本目は56年5月に入手。胴底には「庸吉型 岸正規」と署名している。これは「こけし鑑賞」に掲載されている鹿間庸吉の写しである。特徴的なのは、前髪の後ろに垂らした髪が本人型と同じ紡錘形になっている点。確かに写真を見るとそのように見えるが実際には他の庸吉こけしと同様、3筆描きの1筆が小さいために2筆に見えたのであろう。写真による復元と思われる。なお、これと同種のこけしが55年7月の「第8回伝統こけし30人展」で入選しているので、この型は55年から作られていると思われる。次の右から3番目のこけしは56年6月に入手。「こけしの美(単色版)」に載った深沢庸吉の写しである。木地形態から描彩まで忠実に写している。現物をみての作成であろうか。控えめであどけない表情が良く出ている。この型は56年6月の「第9回伝統こけし30人展」で入選している。左端のこけしは中古で求めたもの。「こけし手帖(56号)」で紹介され、「原卿のこけし群(75)」に掲載されたものの写しと思われる。庸吉Bタイプの代表作と言えるだろう。このように岸さんは昭和55年から57年頃にかけて主要な庸吉の写しを作っている。ただ岸さんは金太郎系列の工人、庸吉は幸八系列。どうのような経緯で庸吉型を作るようになったのか岸さんに聞いてみたいものである。これまでに庸吉型は石原日出男、菅原和平の両名により一時的に作られたことはあったが、本格的に作成し、しかも成功したのは岸さんが初めてと言って良いであろう。
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