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第277夜:辰雄の幸太型

Tatuo_kota_h11_kao 昨夜は弥治郎系の佐藤辰雄さんの追悼の意味で初期のこけしに触れた。今夜は私が特に力を入れて集めてきた辰雄さんの幸太型を時系列で眺めてみたいと思う。幸太型については第73夜で初期作と「美と系譜」掲載品と同時期の作について紹介した。今夜はそれ以外の幸太型を見てみたいと思う。トップの写真は平成11年7月10日に辰雄さんのお店を訪問した時に入手したもの。奥さんによれば幸太型は久し振りに作ったのだと言う。その後、平成14年6月に再訪問した時には、既に作っていないということだったので、この辺り(70歳くらい)が幸太型の最後に近い作品と思われる。

Tatuo_kota_hikaku 2枚目の写真を順番に見ていこう。一番左は胴底に「39.1.26 大阪大丸 東北物産展」の書き込みがある。第73夜では昭和37年作を紹介しているので、これは初期作とは言えないが、同趣の雰囲気を持っている。眉目の位置が上がり描彩も手慣れてきて明るい表情になっている。左から2番目は胴底に「42.7」の記入がある。「美と系譜」掲載こけしよりやや後の作で、木地形態・描彩とも同様であるが、眉目が大きくなっている。真ん中のこけしは胴底に「47.11.3」の書き込みがある。40年代の中頃より、胴上部肩の部分に段が付くようになる。幸太型の師匠にあたる春二さんのこけしは肩に段あるため、それを取り入れたのであろうか。この段は以降、最後まで踏襲される。顔の描彩がやや縦長になってきた。右から2番目は「54.11.7」の書き込みがある。頭が一段と大きくなり、その分胴が短くなってやや寸詰まりである。40年代の末あたりから、瞳に下瞼が付いて二重になる。これも春二さんの影響であろうか。右端は平成11年7月作。50年代以降、段肩と二重瞼は踏襲され、作風に大きな変化はない。ただ胴は上部がやや細みを帯び、40年代前半に近くなる。このように辰雄さんの幸太型では胴の形態と目の描法に年代による違いが見られる。その一方で、胴下部の2本の鉋溝とロクロ線模様は、その本数・配色とも一貫して変わらない。頭頂部の赤・紫・緑の模様もしかりである。春二さんを初め、他の工人の幸太型が種々変化しているのとは対照的である。幸太から続く佐藤本家としての格式がそうさせたのであろうか。平成14年に訪問した折、奥さんは直系の後継者がいないことを寂しがっていた。ともあれ格調高い幸太型が見られなくなってしまったのは誠に残念なことである。

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