第442夜:斎藤源七のこけし
蔵王系の斎藤源七は明治45年の生まれ。斎藤源吉の長男である。昭和元年、尋常小学校卒業とともに父、源吉につき木地修業を始めた。こけしは昭和10年代前半から作ったと思われるが、本格的に作ったのは戦前のこけしブームの昭和15年以降である。昭和25年には病で亡くなっているため、こけしは戦前のみで多くは残っていない。「こけしの世界」に昭和14年頃の作が載っているが、眼が小さくちまちました固い表情のこけしである、また、胴の重ね菊も縦長で痩せている。昭和15年頃の作は本稿のこけしに近い。その後、昭和17年頃になると、目の湾曲が鋭角的となり、ややきつめで凛とした表情のこけしになっていく。さて、本稿のこけしであるが、幼げでもあり、ややおっとりとした柔らかい表情が素晴らしい。源七のこけしは左右の目がきちんと揃っているのが多いが、本こけしは左目がやや上がっているのが趣を添えている。17年頃の強い視線ではなく、穏やかな視線をこちらに投げかけている。見ていて心安らぐこけしである。昭和15年から16年頃の作であろうか。この手の源七こけしはあまり見かけない。「こけし辞典」では『源吉の型を忠実に伝承しているが、凝視すると性格の差か、表情特に目にかなりの差があり、源吉よりはより甘美であることがわかる。』と評されている。1尺の胴には、大振りの重ね菊を4段に重ねて描いている。源吉の緻密な重ね菊とは対照的でもある。源吉を引き継いでいながら、しっかりと源七自身のこけしに仕上げている。早逝が何とも惜しまれる工人である。
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コメント
水々しくて可憐ですね。
今まで他で言ったことがありませんが,新旧関係なく蔵王高湯系の中で私が一番好きな作者です。
投稿: しょ〜じ | 2010年8月17日 (火) 22時19分
私もこのお顔、とても好きです。鼻の形も好き。こんな素敵なお顔を描いた方は、どんな工人さんだったのでしょう。心の優しい方だったのでしょうね。こけしのお顔がそんな感じにお見受けします。
投稿: kuma | 2010年8月19日 (木) 20時58分
しょ~じさん、kumaさん、
素敵なコメント、ありがとうございます。
あの剛直と言われる源吉の息子ですが、このあどけない表情の時期はあまり長くなかったようですね。それにしても、戦前の蔵王(高湯)系の工人は多彩でした。今は後継者がなく寂しい限りです。昔のこけしで往時を偲ぶしかないのでしょうね。
投稿: 国恵志堂 | 2010年8月19日 (木) 21時50分