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第442夜:斎藤源七のこけし

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8月は友の会の例会もなく、ひやねの入札・即売会もないので、もっぱらヤフオクがこけし入手の中心になっている。そんなヤフオクで最近、どうしても欲しいこけしがあった。斎藤源七のこけしである。今まで源七のこけしにはあまり惹かれるものがなく、従って1本も持っていなかったのである。昭和16年頃を中心とした保存の良い古品を出品してくれる方からの出品であった。尺1本で最低価が4万円とのことで応札がなく、締め切りの2時間ほど前に入札した。その後、ひと方の入札があったが、5千円程の上積みで落札することが出来た。今日、送られてきたので、早速紹介したい。

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蔵王系の斎藤源七は明治45年の生まれ。斎藤源吉の長男である。昭和元年、尋常小学校卒業とともに父、源吉につき木地修業を始めた。こけしは昭和10年代前半から作ったと思われるが、本格的に作ったのは戦前のこけしブームの昭和15年以降である。昭和25年には病で亡くなっているため、こけしは戦前のみで多くは残っていない。「こけしの世界」に昭和14年頃の作が載っているが、眼が小さくちまちました固い表情のこけしである、また、胴の重ね菊も縦長で痩せている。昭和15年頃の作は本稿のこけしに近い。その後、昭和17年頃になると、目の湾曲が鋭角的となり、ややきつめで凛とした表情のこけしになっていく。さて、本稿のこけしであるが、幼げでもあり、ややおっとりとした柔らかい表情が素晴らしい。源七のこけしは左右の目がきちんと揃っているのが多いが、本こけしは左目がやや上がっているのが趣を添えている。17年頃の強い視線ではなく、穏やかな視線をこちらに投げかけている。見ていて心安らぐこけしである。昭和15年から16年頃の作であろうか。この手の源七こけしはあまり見かけない。「こけし辞典」では『源吉の型を忠実に伝承しているが、凝視すると性格の差か、表情特に目にかなりの差があり、源吉よりはより甘美であることがわかる。』と評されている。1尺の胴には、大振りの重ね菊を4段に重ねて描いている。源吉の緻密な重ね菊とは対照的でもある。源吉を引き継いでいながら、しっかりと源七自身のこけしに仕上げている。早逝が何とも惜しまれる工人である。

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コメント

水々しくて可憐ですね。
今まで他で言ったことがありませんが,新旧関係なく蔵王高湯系の中で私が一番好きな作者です。

投稿: しょ〜じ | 2010年8月17日 (火) 22時19分

私もこのお顔、とても好きです。鼻の形も好き。こんな素敵なお顔を描いた方は、どんな工人さんだったのでしょう。心の優しい方だったのでしょうね。こけしのお顔がそんな感じにお見受けします。

投稿: kuma | 2010年8月19日 (木) 20時58分

しょ~じさん、kumaさん、
素敵なコメント、ありがとうございます。
あの剛直と言われる源吉の息子ですが、このあどけない表情の時期はあまり長くなかったようですね。それにしても、戦前の蔵王(高湯)系の工人は多彩でした。今は後継者がなく寂しい限りです。昔のこけしで往時を偲ぶしかないのでしょうね。

投稿: 国恵志堂 | 2010年8月19日 (木) 21時50分

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