« 第438夜:還暦の危機 | トップページ | 第440夜:和紀の初期粂松型(その1) »

第439夜:戦後直ぐのこけし(阿部広史)

Hiroshi_s27_kao

昨夜は、佐藤春二の昭和25年のこけしを紹介した。昭和20年代と言えば、未だ戦後の混乱が続いている状況であり、一般の人々は喰うのに精一杯であり、とてもこけしを買うような余裕はなかったのであろう。需要が少ないことから、こけしの生産も限られ、結果として20年代のこけしはあまり多く見かけることはない。そんな中、今夜は阿部広史の昭和27年のこけしを紹介しようと思う。口絵写真は、その阿部広史の顔のアップである。

Hiroshi_haruji_hikaku

写真(2)の右が本稿の広史こけしで、左は昨夜紹介した春二のこけし。奇しくも全く同じ大きさ(5寸1分)なのである。広史のこけしは胴底に「土湯 阿部廣史作」の署名と「1952」との書き込みがあり、1952年(昭和27年)のこけしである。土湯系の阿部広史は明治31年の生まれ。阿部金藏の長男である。大正3年(17歳)から父について木地修業を行い、その後家業を継いで、大正末にはこけしも製作した。この頃のこけしは金藏名義と言われている。昭和7年に金藏が没してからは暫く木地業を離れて炭焼業に専念し、昭和16年頃より本格的に木地業に復帰して、こけしも多く作るようになった。「こけし辞典」によれば、『昭和23年から26年ころまでは紫の多い胴模様のこけしをつくり、・・・』とある。本稿のこけしは、まさにその頃のこけしということになる。広史のこけしにしては胴がかなり太め、食糧事情の厳しい時代に、腹一杯食べたいという気持ちの表れか。円らな瞳が何とも可愛らしい。この2本のこけし、こうして並べてみると実に良くマッチしている。戦後の間もない時期に、しっかりと伝統に則ったこのような愛らしいこけしが作られていたことは、何とも嬉しいことである。

|

« 第438夜:還暦の危機 | トップページ | 第440夜:和紀の初期粂松型(その1) »

土湯系」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/188678/49113381

この記事へのトラックバック一覧です: 第439夜:戦後直ぐのこけし(阿部広史):

« 第438夜:還暦の危機 | トップページ | 第440夜:和紀の初期粂松型(その1) »