第470夜:小原こけし(本田久雄?)
前所有者によれば、「忠蔵庵」の入札品で本田鶴松として出ていたとのこと。署名や胴底に書き込みは無いが陸奥売店の印が押されていることから昭和15、6年の作と思われる。同時期の亀寿の表情とはやや異なることから久雄ではないかとこけしである。
本田久雄は大正12年、小原村の生まれ。鶴松の4男である。昭和13年、高等小学校卒業後、父について木地修業を始める。15年には東京で工場に勤めていたが、程なく帰郷。16年には木地業に就き、こけしも製作したが、同年、転業したため、こけしは15~16年のみで製作数は少ない。写真(2)中央が久雄と思われるこけし。右と左は昨夜紹介した亀寿のこけしである。久雄(?)のこけしは大きさ尺、頭は嵌め込みで回る。さて、本稿のこけしを久雄と推定した理由として「こけし手帖(406)」では①陸奥売店のゴム印から昭和15,6年頃の作で、久雄の活動時期と重なる。②手帖(405)掲載の亀寿の昭和15年作と明らかに一致しない。③「こけしの世界」掲載の久雄と比べて眼点の位置、胴の描彩のタッチ、眉間の広さが良く似ているを挙げている。そこで改めて久雄のこけしを文献で探してみると、「こけしの世界」「愛玩鼓楽」「原郷のこけし」「東北のこけし」に載っているが、いずれも7寸前後で胴のくびれたものであり、尺級の大きなこけしは見当たらなかった。(「原郷のこけし」には4寸4分もあり)。製作期間の短い久雄が首の構造も異なる大寸こけしを果たして作ったかどうか疑問である。また、胴の描彩(特に四つ花)は写真(2)の3本は殆ど同一と言えるが、前述4書の7寸久雄のものはやや異なるように見える。
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