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第507夜:森谷和男の勘治型(30万アクセス突破)

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先週末に検査のため入院して以来、本ブログの更新が途絶えていたが、皆様のアクセスのお陰で、今夜30万アクセスを突破したことが分かった。なお、検査結果は早急に対処が必要という状態ではないということで、暫くは様子見ということになった。昨日は奥山広三の戦前作が出品されており、かなり頑張ったものの、保存状態があまり良くないこともあって、途中で断念した。さて、ここのところ勘治型の話が続いているが、今夜は森谷和男の勘治型である。口絵写真は、その顔アップ。

鳴子系の森谷和男は昭和3年、岩出山町の生まれ。高橋盛の妻きくゑの甥にあたる。昭和24年11月より盛の弟子となり、昭和27年11月まで木地修業をし、その後「高勘」の職人として働いた。昭和36年2月に独立して、東鳴子で開業した。(以上、「こけし辞典」より)。

Moriya_sakari_kanji_hikaku

2週間ほど前、ヤフオクに勘治型のようなこけしが出品された、写真(2)の右のこけしがそれである。作者は森谷和男。森谷和男の勘治型としては写真(2)左の平成13年作を持っていたが、今回のこけしは、それとはかなり作風が異なるので、頑張って入手したのである。以前、「高勘」の盛雄さんに勘治型について問い合わせたことがある。盛雄さんの奥さんからの返事では、「勘治型の型が崩れないように、血縁者以外には勘治型は作らせない」ということであった。血縁者のみならず実の弟の福寿さんに対しても、勘治型のねまりこは勘治も盛も作ってはいないのだから、作ってはいけないと注意していたと言う。そのため、福寿さんの勘治型ねまりこは少ないのである。そういうことから、盛雄さんの生前中は弟子筋の工人は公には勘治型を作れなかったのである。(最も、昭和50年代でも柿澤是隆さんや滝島茂さんは愛好家の要望により非公式には、署名なしや、若干様式を変えた勘治風のこけしは作っていたのであるが。第××夜を参照)。「高勘」の後継者であった敏文さんと盛雄さんが相次いで亡くなり、また福寿さんまで急逝したことにより、「高勘」の弟子筋の工人もおおっぴらに勘治型を作るようになったのは周知の通りである。私は、森谷さんもその頃から勘治型を作り始めたものと思っていた。ところが、今回のこけしはその作風から、それ以前にの作と考えられる。特に目の描法から、それは盛勘治型をお手本にしたものと思われる。胴の描彩も溌剌としており、昭和の年代に作られたものではないだろうか。

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コメント

30万アクセス突破&無事ご退院、おめでとうございます!

投稿: :☆:*・*:☆:*・*:☆: | 2011年2月 3日 (木) 00時36分

古川在住です。森谷和男工人宅に昭和52年12月から訪問しておりました。勘治型を最初に入手したのは、昭和53年9月30日です。初作の1尺、8寸、6寸、4寸の4本の入手です。
滝島茂工人のは、昭和55年4月12日に7寸の入手です。初作から少し経っていると思います。

投稿: | 2011年2月 5日 (土) 18時34分

貴重な情報ありがとうございます。
やはり昭和50年代から作っていましたか。
作るなと言われても、「高勘」の工人である以上、勘治型を作りたいという気持ちは強かったんでしょうね。

投稿: 国恵志堂 | 2011年2月 5日 (土) 20時06分

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