第516夜:朝倉英次のこけし
朝倉英次は明治44年、遠刈田新地の生まれ。佐藤周吾の二男である。大正12年に北岡木工所に入所して木地修業をした。こけしは大正12年より作っているが、戦前の活動は昭和8年東京に出てきたことで終わる。戦後は昭和30年より本格的に作り始め、昭和33年頃より剛直さを増し筆力鋭く、頭角ばり、胴の細い快作を作るに至った。その後、昭和41年に病気で休業してから筆力は衰えたが、むしろ枯淡の味を出している。(以上「こけし辞典」より抜粋)。戦後の英次こけしについては「こけし手帖(443)」に詳しく述べられている。その記載によれば、「胴の細い剛直な表情」がピークに達するのは昭和38年末から39年始めにかけてと思われる。
写真(2)右は本稿のこけしで、胴底に「39.1.4」の書き込みがある。「手帖(443)」記載の39年1月作「たつみ」頒布品と同時期のこけしである。細い胴、縦長の角張った頭、切れ長の鋭い眉・目。まさにピーク期の特徴を備えたこけしである。写真(2)左は胴底に「43.5.13 直送」との書き込みのある直治型。病後の作とは言え、直治の特徴を良く現した鋭い作品である。これだけのこけしを残しながら、英次こけしに関する文献での記載は少ない。もっと評価されるべき工人であろう。
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コメント
なかなか見ることのできないこけしを、
惜しげもなく公開して頂いて感激です。
右のこけし、本当に美しく手に持って見たい
という欲求にかられます。
投稿: kuma | 2011年3月 3日 (木) 06時04分
kumaさん、お久しぶりです!
英次のこの手のこけしは長いこと欲しいと思っていて、ようやく手に入りました。保存状態も完璧なので、その素晴らしさが際立ちます。古武士のような風貌が何とも言えない魅力です。こういうこけしが出てくるので、こけしの魔力からなかなか抜けられません(苦笑)。
投稿: 国恵志堂 | 2011年3月 3日 (木) 08時20分