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第528夜:右内の政五郎型

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あの大地震が起こって以来、やはり自分で出来ることで何か努力をしなければいけないと思って、このブログの記事を書き続けている。今夜のこけしは、やはりKさんから借りたこけし。斉藤右内の政五郎型である。右内さんが政五郎型を作っているのは知っていたが、今回のようなこけしは見たことがなかった。なかなかの出来で感心したので紹介したいと思う。口絵写真は、その顔アップ。

斉藤右内について詳しい紹介記事は見かけない。昭和63年頃より、こけし作りを始め、当初は文吉風のこけしを作っていたが、この文吉風こけしは事情があって作れなくなった。その後、肘折の鈴木幸之助型と横山政五郎型を手がけるようになった。この政五郎型については、名古屋こけし会の第94回頒布解説に、その経緯が記されている。それに依ると、平成3年頃、愛好家の助言で政五郎の長男に政五郎型こけし製作の依頼をしたところ、許可は得られなかったが、作ってはいけないということでもなかったので、時々作るようになったとのこと。そのことを受けて、名古屋こけし会での第94回頒布があったのが平成12年3月。この頃より政五郎型を本格的に作るようになったので、手帖でも政五郎型は平成12年より作り始めたと書かれている。

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写真(2)右は本稿のこけしで、左は友の会頒布品(平成12年5月)である。友の会頒布品は、政五郎のピーク期と言われる昭和29年辺りの作風を模したものであろう。では右のこけしはどうであるうか。前髪の両脇の手絡が赤色であることから昭和26年以前の作風であると思われる。なお、名古屋こけし会の頒布品は植木蔵昭和25年作の写しである。但し、その写しは本稿のこけしの様な平頭ではない。そこで色々と文献を調べて見ると、「山形のこけし」の154頁掲載されている高梨蔵昭和24年作が目に止まった。この写真は斜め上から写したものなので、頭が平たく見えるのである。このこけしを更に横広にデホルメすると本稿のようなこけしになるのではないかと思われる。なお、本稿のこけしには署名はなく、入手者の手書きで斉藤右内と記されている。

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コメント

いつも拝見させております。斎藤右内について知っていることは、刑務所の職員をしており、仙台に勤務していた時鈴木某の世話にて簡易轆轤を手に入れ趣味にてこけし作りをしていました。山形の刑務所勤務の時官舎にて天童の文吉さんのこけしもどきを作ったりしていた。定年退職後文吉さんの3軒隣に家屋を建て住居にしました。所が文吉こけしが売れることを知っており、本人に無断で文吉もどきこけしを作り売り出しました。このことを本人が知り烈火のごとく怒り、その後もどきこけし作りは止めました。その後山形のおせっかいの者がいて青根の忠さんのところに連れて行き肘折の幸之助もどきこけしを作る許しを得たとのこと。それから政五郎型等作っていたが、仙台に居を移しました。どうなったことか。右内を取り上げるとは折角の立派な文章を汚すことになり、勿体ない話です。

投稿: | 2011年4月19日 (火) 17時54分

右内こけしについては色々と噂があるとは聞いていましたが、今回のコメントでその詳細を知ることが出来ました。このような裏の事情を多くの方々に知って頂けるのも、このブログの役目なのかと思います。ありがとうございました。

投稿: 国恵志堂 | 2011年4月19日 (火) 20時46分

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