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第545夜:底書きの信憑性(常川新太郎)

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こけし界でよく言われる言葉に「1本王様こけしを入手すると家来のこけしが自然に集まってくる」というものがある。王様ではないにしても、あるこけしが手に入ったことによって、それに関係するこけしを手にする機会が増えることはままあること。実際には、あるこけしを入手したことによって、そのこけしへの関心が高まり、今まで気付かずに見過ごしていたものに注意がいくようになった結果、そのようなことになるのだと思う。こけしの蒐集を始めて以来全く関心がなかった常川新太郎のこけしを入手してから(第525夜)、そのこけしを改めて見つめ直していたところ、古品15本の中にも1本含まれており、また先日は「昭和12年」と底書きのある新太郎がヤフオクに出品されていた。昭和12年と言えば、新太郎がこけしを作り始めた頃、また胴のロクロ模様が他と違っていたことから、研究のためにも直に見て見たいものだと思っていた。新太郎のこけしにしては珍しく入札価格は5000円の値になっていたが、何とか落札することが出来た。さて、そのこけしの実像は・・・?

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写真(2)右は、最初に入手した新太郎(4寸)で昭和16年頃の作。中央は古品15本の中に入っていたもの(8寸)でほぼ同時期か。そして左(6寸7分)が今回入手した「昭和12年」と底書きのあるこけし。左のこけしは右2本と比べて、面描は殆ど同じであるが、胴下部の木地形態と胴のロクロ線の様式が違うことが見てとれる。また、写真(3)の様に、左のこけしには頭頂部にロクロ線の模様が入っている。

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新太郎は昭和12年に藤原政五郎のこけしを参考にして自身のこけしを作り始めたという。左のこけしの底書きを信じれば、このこけしがそれに近いものという可能性が強い。そこで、各種文献で戦前の新太郎こけしを調べて見た。「こけしと作者」「こけし加々美」「原郷のこけし郡」「こけしの世界」「愛玩鼓楽」「こけし(美術出版)」に掲載されている新太郎こけしは、全て右の様式のこけしであった。そこで、左の様式の新太郎こけしはないものかと他の資料を調べてみると、「こけしガイド(昭和33年発行)」「こけし(三彩社:昭和40年発行)」「愛こけし(昭和32年頃)」「東北のこけし(昭和20年代後半)」に掲載されている戦後のこけしは全て左の様式であることが分かった。但し、そのいずれもが、本稿のこけしと比べて、ロクロ線の太さが単調なのである。このようなことから、本稿のこけしは「昭和12年」の作ではなく、戦前と戦後を繋ぐ位置にある新太郎こけしではないかと推測される。新太郎のこけしが戦前と戦後でこのように変わった理由は分からない。また、戦後のこけしの頭頂部に常にロクロ線が描かれるのかも分からない。そして、この「昭和12年」という書き込みが何を意味するのかも不明。もし意図的に書かれたのであれば、あの「疑惑のこけし」の再来かという話にもなるのだが・・・。

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