第547夜:左内のえじこ(玉山時代)
新山左内は明治35年弥治郎の生まれ。新山久治郎の5男である。大正3年、尋常小学校卒業と同時に久治郎や兄久治について木地修業を始める。こけしも当時から作った。その後、東京ほか各地を転々とし、昭和2年に結婚して玉山温泉で開業した。昭和11年には日立市助川へ移り、19年には東白川郡矢祭に疎開、昭和24年に弥治郎に帰郷し、以後弥治郎で開業した。以上「こけし辞典」より。こけしは玉山時代以降が残っており、戦前の玉山・助川時代の作は評価が高い。
写真(2)にエジコの底書きを示す。先ず底書きを見ると、左半分に「福島県 磐城 玉山温泉 新山左内」と記載され、右半分には「現住所 茨城県 多賀郡 助川町 ・・・」と記載されている。また、真中に張られた紙片には「郷土玩具 地方:磐城 名称:玉山エジコ 東京・三五屋」と書かれている。「三五屋」は大正13年から昭和20年まで東京・青山にあった郷土玩具の専門店。同店の主人・松下正影氏は大阪毎日新聞の美術担当記者をしていた「目利き」で、同店からは戦前の優品が収集家に渡ったと「こけし辞典」に記載されている。このことから、本エジコは左内の玉山時代の作品で、左内が助川に居を移してから、三五屋を経由して収集家の手に渡ったと推測される。
写真(3)にエジコの全体像と頭部側面を示す。エジコの大きさは径11cm、頭の大きさは4cm程度である。胴模様は多色のロクロ線。上下に赤のロクロ線を配し、中央に緑と紫の帯を入れた構成は、左内こけしの胴中央部の様式に準ずる。頭頂部のベレー中央は赤でその周りは緑であろうか、その周辺部には髪を描いている。鬢飾りは3筆で、その上から緑で耳が描かれている。眉には勢いがあり、瞳は生き生きとしている。鼻は小品にも拘わらず撥鼻で、玉山時代の特色を全て具現している。助川時代になると丸鼻が主流となる。頭は嵌め込みで、これも戦前の特徴である襟巻もしっかり付いている。三五屋の張り紙があることで素性もはっきりしており、エジコとは言え頭部の描彩はこけしと何ら遜色なく、左内の戦前の優品と言って良いであろう。
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