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第620夜:弘道の太子型(まとめ)

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土湯の斎藤弘道さんも昭和30年代から現在まで休むことなくこけしを作り続けており、土湯系の長老と言われる年齢となった。先週のヤフオクで、その弘道さんの昭和34年作の太子型を入手することが出来た。弘道さんの昭和33年、34年のこけしは人気が高く、特に太子型はなかなか入手の機会がなかった。出発点である33年作があればよいのだが、入手の展望もないため、とりあえずこれまでのもので太子型を纏めてみたいと思う。口絵写真は、34年作太子型の顔アップである。

Hiromichi_jizo_s34_hikaku

写真(2)に弘道さんの太子型を年代順に並べてみた。右から34年2月6日(6寸)、36年頃、38年頃、40年頃(8寸)、43年頃、45年9月、48年10月である。先ずは34年作。裾の括れた木地形態が美しい。ただ、全体的なバランスから見ると、頭が少し大きいと言えなくもない。表情は、典型的な「弘道の微笑み」である。首下の赤いロクロ線は1本のみ。34年の後半からは2本となる。次いで36年。頭が小さくなり胴は細身で裾の括れはやや太くなる。表情は平坦で特徴に乏しい。黒の3本ロクロ線が太くなった。38年では、頭が更に小さくなり、括れの殆どないずん胴が目につく。両目尻が下がって泣きべそ顔にも見える。40年になると、木地形態は36年に近くなるが、胴のロクロ線間の白生地の部分が太くなって濃厚さが薄れてくる。表情は、両目の間隔が開いてコケティッシュな雰囲気となる。43年では裾の括れが更に大きくなり、34年作に近い形態となる。表情は42年から続く小さな潰し目。赤の色は薄く明るくなった。45年では胴がよりスマートになる。目は大きく黒目がちで、首下の2本の赤ロクロ線が下がり、首下に白木地の部分が出来る。48年になると、胴、頭ともやや太めとなる。胴のロクロ線間の白生地部が更に大きくなり、表情も両目尻が下がって垂れ目のにやけたものとなる。弘道さんは昭和50年以降も太子型を作っているが、太治郎の雰囲気からは大きく離れたものとなっているため、同列に扱うのは無理があるだろう。昭和30年代から58年代にかけての弘道の太子型を見てきたが、同じ太治郎型と言っても、木地形態、描彩とも相当に変化しているのが分かる。胴裾の括れ1つをとってみても、38年頃を太さのピークとして、その前後で徐々に細くなっている。色調は40年以降、赤の色が薄くなり、ロクロ線にも白木地の部分が増えるので、あっさりした感じとなる。こうして見ると、太治郎こけしの大きな特徴である濃厚な情味は年と共に薄れてしまったのが分かる。弘道のこけしを追い求めれば、行きつくところは、やはり33年、34年のこけしになってしまう。明夜は弘道のもう1つのピークと言われる42年作とその周辺を探ってみたい。

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