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第630夜:昭和30年代の秀雄こけし(2)

Mituwo_60sai_kao 昨日の友の会の入札で、大沼みつをのこけしを入手した。大沼家のこけしは好きなこけしなので、特に古いものを見ると、つい手が出てしまう。秀雄さんの初期のこけしは、母みつをさんのこけしを手本に作っており、それは初作の昭和33年から35年辺りまでは続いていたことを、第619夜で解説した。昨日入手したみつをさんのこけしは、その後の状況を説明するに足るものであった。口絵写真は、入手したみつをこけしの顔アップである。

私の手元に、以前「ひやね」の即売で入手した保存の良い秀雄こけしがある。その胴底には「”羨こけし”出版を記念して 深沢」との記入があり、昭和37との鉛筆書きもある。この秀雄こけしを第619夜のこけしと比べてみると表情にかなりの違いがあり、その訳が気になっていた。

Mituwo_60sai_hikaku_kao

写真(2)、向かって左が昭和37年の秀雄こけしの顔、右が昨日入手したみつをこけしの顔である。顔の表情、特に眉、目の描き方が全く同じであることが分かると思う。みつをこけしの胴底には60才の署名と、「38.4.2」の書き込みがある。昭和37年頃から、みつをさんの面描が変わり、それに引きずられるように秀雄さんの面描も変わっていったものと思われる。また、みつをさんのこけしが白胴であるために、肩上面に引かれる赤いロクロ線の有無が確認出来ないが、秀雄さんのこけしでは赤いロクロ線は肩の山の底部に微かに残っているに過ぎない。

Mituwo_60sai_hikaku

写真(3)の全身像を示す。みつをさんは昭和40年4月に亡くなっており、こけしは39年辺りが最後と思われる。写真(3)右端は晩年の作と思われるこけし。その左の38年作と比べると、筆に勢いが無くなっているのが分かる。母みつをさんと二人三脚で作られてきた秀雄さんのこけしも、昭和40年代に入ると手本とするものが無くなり、またそれは高度成長期とも重なって、近代化していくこととなるのである。それと共に、肩上面の赤いロクロ線は全く姿を消してしまう。秀雄さんにおいても、他の工人達と同様、30年代のこけしと40年代以降のこけしとでは、その味わいに大きな違いがあるのである。

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