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第641夜;佐藤養作のこけし

Yosaku_kao正月3日目。今日も箱根駅伝の1日であった。結果は東洋大の圧勝。2位の駒沢大に9分以上の差を付け、往路、復路、総合の全てで大会記録を大幅に更新した。10区間中、6区間で1位(うち2区間は区間新)をとったのだから、その強さは断トツだったと言える。さて、今夜のこけしは鳴子系の佐藤養作のこけし。このこけしも昨年の友の会例会入札で入手したものである。口絵写真は、その養作こけしの表情。

鳴子系の佐藤養作は明治42年、宮城県栗原郡金田村の生まれ。養作は母の実家の縁から、高等小学校を中退して高橋武蔵について木地修業をした。「高亀」には大正12年に弟子入りし、年期明け後職人をした後、昭和7年に天野正右衛門を頼って山形県東根に移り、その後転業。戦後、川上克剛氏の奨めで昭和42年から描彩のみで復活した。復活後の文献での紹介は、「こけし手帖93号」の橋本正明氏による『佐藤養作』に掲載されている。描彩復活作の木地は会田栄治(川上氏)や秋山忠市(橋本氏)のものがある。

Yosaku

写真(2)が本稿の養作こけし。大きさは6寸。胴底に鉛筆書きで「(伊藤)文博木地」とある。文博は木地挽きのみで、岡崎斉、大沼誓について木地修業をしているため、高亀系の木地形態にはなっていない。「山形のこけし」には、復活初期の昭和43、44年作の他に、昭和52、55年作も載っており、眼点がやや大きくなっている点など、本稿のこけしは55年作に近い。もともと、素朴でおっとりした表情のこけしであり、その雰囲気は保っていると思う。

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