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第651夜:新山兄弟のペッケ

Fukutaro_pecke_kao第649夜で、弥治郎系のペッケについての質問があったので、コメント欄で若干の説明をしたが、実際のこけしの写真を掲載した方が分かり易いと思ったので、今夜は代表的なペッケの系列である新山家のこけしで説明したいと思う。選んだのは、新山福太郎と定雄の兄弟である。なお、口絵写真は、福太郎の戦前のペッケの表情である。

弥治郎系の新山福太郎は明治30年、弥治郎の生まれで、久治郎の4男である。また、新山定雄は明治41年の生まれで、久治郎の6男である。福太郎は、明治44年尋常小学校を卒業後に木地修業を始め、戦前・戦後とこけしを作り続け、昭和40年に69歳で亡くなっている。一方の定雄は大正10年高等小学校を卒業後に木地修業を始め、大正14年から昭和27年まで転業していたが、27年に復活し、30年からは本格的にこけしの製作も始めた。その後、昭和35年より休業し、昭和56年に83歳で亡くなった。

Fukutaro_pecke_hikaku

写真(2)右が福太郎、左が定雄のペッケである。福太郎は4寸7分、久松旧蔵品。「愛玩鼓楽」に昭和15年作の5寸8分のペッケが載っている。それと比べると胴下部が大きく胸の膨らみもあって形が良い。また、眉・目の描彩に張りがあり、赤い頬紅もはっきり描かれており、横鬢も長い。これらのことから、昭和10年前後の作ではないかと思う。特に表情は素晴らしい。但し、左側面に胴底から胴くびれ部にかけて大きく割れが入っているのが何とも残念である。一方の定雄は5寸で50才の署名があるので昭和33年の作か。頭はまん丸で、胸の部分の膨らみが少なく、形態的にはやや寂しい。眉・目の描線は細いが眼点は大きく、目・鼻が中央に寄って、おぼこい表情ではある。戦前と戦後という違いはあるにせよ、同じ兄弟でも、その作るペッケにはかなり違いがあるのが分かるのである。

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コメント

新山福太郎・定雄さんのこけし画像ありがとうございます。

こけし初心者の私、今一番好きなタイプです。

こけしって「可愛くて・もごさくて」見ているだけで涙が出てくるのはなぜでしょう。

兄弟と言えば西田記念館では「こけし兄弟展」が開催されています。
一度は行ったのですが、また行きたくなりました。

投稿: ピノ助 | 2012年1月15日 (日) 11時53分

ピノ助様
ペッケは何とも愛らしいこけしですね。
新山一家は家族が多くて、それぞれが良いペッケを作っています。
色々と集めて、その違いを比べて見るのも楽しいですね。

投稿: 国恵志堂 | 2012年1月16日 (月) 08時33分

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