« 第649夜:高橋精志の精助型 | トップページ | 第651夜:新山兄弟のペッケ »

第650夜:戦後盛秀こけしの変遷

Morihide_s20dai_daruma_kao私がこけしの収集を始めた昭和40年代の後半は既にこけしブームに入っており、盛秀太郎のこけしは天上の花であった。そのこけしを求めるために、収集家は如何に苦労したことであろうか。盛秀のこけしが殆ど入手困難であれば、その矛先は唯一の後継者である奥瀬鉄則に向かうのは至極当然のことであった。そのため、鉄則のこけしもまた入手難のこけしであった。そんな状況から私は盛秀こけしは鼻から諦め、鉄則こけしを何本か入手したに過ぎなかった。そのな苦労して入手した鉄則こけしが、今ネットオークションでは、安価に容易に買えるのである。今の収集家は何と恵まれているのだろうと思うことしきりである。それでも、平成に入ってから盛秀こけし(尺3寸)を1本入手することが出来た。約10万円であった。1寸1万円と言われていたから、それでも安かったのかも知れない。その盛秀こけしでさえ、ネットオークションではその1/3位の価格で買えるようになった。さて、今夜はそんな盛秀の昭和20年代のこけしを紹介したいと思う。口絵写真はその表情。

盛秀太郎のこけしと言うと、胸が膨れ胴が括れた形態に、睫毛の付いたつぶし目を描き、胴にはアイヌ模様と達磨絵を描いた、いかにも見栄えの良いこけしが目に浮かぶ。そして、そういうこけしが盛秀のこけし、なかんずく津軽系こけしの代表として世の中に知れ渡っているのである。私は、睫毛こけしはあまり好きではなかったが、それでも盛秀、美津雄、鉄則、陽子さんの同種のこけしが1本は集まってきた。

Morihide_s20dai_daruma_hika

数年前、古いこけしを纏めて入手した中に、写真(2)右のこけし(7寸2分)が入っていた。署名はないが、盛秀のこけしであろうことは分かった。写真(2)左はよく見かける盛秀こけしで昭和30年代のもの。「盛秀一家のこけし辞典」などを見てみると、右のこけしは昭和20年代後半のこけしのようだ。盛秀の戦前のこけしに睫毛は無い。右のこけしは一見すると睫毛が付いているように見える。そこで近くで良く見てみた。すると、睫毛のように見えるのは、実は下瞼であるのが分かるのである。盛秀が戦前から描いている「開き目」は、上に凸の長い上瞼と、同じく上に凸の短い下瞼を描き、その間に眼点を入れている。この上瞼と下瞼の湾曲が大きくなり、間の眼点も塗りつぶすように大きくなったのが、右のこけしなのである。やがて、上瞼は水平に長くなり、下瞼は逆に丸く小さくなり、眼点も水平に塗りつぶすようになったのが左のこけしである。40年代になると、下瞼は二本線が下に出ているように見え、もはや下瞼とは言えず睫毛と言われるようになったのであろう。写真(2)の2本のこけしでのもう1つの大きな違いは、達磨絵である。特に鼻の描き方が大きく変わっている。右のこけしではかなり写実的なのであるが、左のこけしでは紋様化しているのが分かる。沢山描いていく内に、効率の上がるように変化していく例であろう。

|

« 第649夜:高橋精志の精助型 | トップページ | 第651夜:新山兄弟のペッケ »

津軽系」カテゴリの記事

コメント

コメント返信ありがとうございます。

「ペッケ=屑」の意とはちょっとショックですが、今では意味が「可愛いヤツ」になった!と解釈しますです。

津軽のこけしたちは個性が強いですよね。
そしてナイスバディだし。

うんっやっぱり私「土湯っ子」が好き。
体型的にも親近感覚えるし・・・。

投稿: ピノ助 | 2012年1月13日 (金) 21時38分

今晩は、いつもお世話になります。今夜はいつも引っ掛かっている件で質問します、ご無礼をお許し下さい。文中でも一寸一万円と有りましたが(この言葉は以前ひやねでも聞いたことがあります)、何故、盛秀系のこけしはあんなに人気があるのでしょうか?。確かに胴のねぶた模様に魅惑的なものを感じはしますが、それでも同世代の佐藤丑蔵や小椋久太郎などのこけしに比べてもそれ程格段の差があるとは思えないし、第一昭和3・40年代の作品が他の工人の戦前の古作に匹敵する値が付くのが不思議に思えてなりません、聞くところの話に寄ると戦前から戦後しばらくの間はあまり評価されなかったのが、世界的な版画家の棟方志功が日本一と絶賛してから人気が沸騰し出したとの事ですが(うちの母はそれが一番の根拠ではないかと言っています)、実際のところそれが最大の要素なのでしょうか?、やはりこの世界も権威の言葉が大きく影響するのでしょうか。

以上、いつも疑問に思っている事を書いてみました、意見がありましたら是非お願いします。若輩者が過ぎた事を述べた事を改めてお詫びします(ちなみに、僕は盛秀のこけしは嫌いではありませんよ、あれはあれで良いと思います)。

投稿: 益子 高 | 2012年1月13日 (金) 22時13分

ピノ助様
おはようございます。
「ペッケ」って何か愛らしい呼び名ですよね。
弥治郎系の小寸こけしにはピッタリです。
土湯系とは、ピノ助さんはスマートな体型なんですね。
色々なこけしを楽しんで下さい。

投稿: 国恵志堂 | 2012年1月14日 (土) 08時18分

益子様
おはようございます。
棟方志功ですか。なるほどね。
私は殆ど意識していませんでしたが、その影響もあったかも知れませんね。ただ、私は盛秀こけしのデザイン性と希少性の要因が大きいと思います。特に、戦後のこけしブームになると、こけしの初心者が急激に増えて、そういう方々にとっては、胸の膨らんだ形態で胴にアイヌ模様と達磨絵を描いたデザインは他のこけしと並べても断然目立つこけしだったのだと思います。しかもそのこけしは現地に行ってもなかなか手に入らないとなると、どうしても欲しくなる。そうするとそのこけしを商売にする人が出てくる。1寸1万円というのは業者の価格で、青森県の温湯まで泊まりがけで行って、高々数本のこけししか入手できないのだとすると、どうしても販売価格は高くなってしまうという話を聞いたことがあります。だから、現地での盛秀さんの売値はそんなに高くなかったようです。丑蔵や久太郎は大量に作っていましたからね。入手も割合容易でしたから。ただ、盛秀こけしが手のかかるこけしであることは確かですし、それが特徴でもあるので仕方ない面もあります。それを引き継いだ美津雄、奥瀬一家のこけしも同様ですね。ただ、戦前の泥臭い(土俗性に富んだ)盛秀こけしは、ちょっと意味合いが違うと思います。あれは1本1本丁寧に作ったこけしではありませんからね。我々としては、ああいうこけしに魅力を感じるのですが、それを現代に再現するのは難しいようです。恵介さんの初期のこけしには、ある種そういう風土性があったのですが、今は上手くなってしまいました。
益子さんのご質問の答えにはなっていないかも知れなせんが、こんなところでいかがでしょうか。

投稿: 国恵志堂 | 2012年1月14日 (土) 08時52分

ヒー!

誤解を生じさせて申し訳ありません。

決して「スマート」ではなく「ズンドウ・凹凸少なし」の意味です。

汗・・・。

投稿: ピノ助 | 2012年1月14日 (土) 13時54分

今晩は、昨夜は自分のたわいもない質問にお返事を頂きありがとうございます。昨夜のメールにも書きましたが、確かにあの独特のねぶた模様には僕も魅惑を感じていますね。これは棟方志功云々以前の問題でして、そういうものに惹かれている収集家の方もいるのでしょうね。そして、自分もいつかは盛秀のこけしを一本は購入してみたいなぁと思っているのも正直なところ偽ざる心境でもあります(ちなみに個人的に好きなのは、鑑定団に出た様な初期の時期の作品でもなければ、後期の睫毛の長いタイプでもなく、昭和初期の穏やかな表情のタイプなのですが、まぁ、手に入りやすいのは睫毛タイプのでしょうけど・・)

投稿: 益子 高 | 2012年1月14日 (土) 20時46分

益子様
昭和初期の盛秀こけしは良いですね。私も好きです。
ぜひ頑張って入手して下さい。

投稿: 国恵志堂 | 2012年1月16日 (月) 08時39分

はい、コレクションの目標のひとつといたします。

投稿: 益子 高 | 2012年1月16日 (月) 21時29分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/188678/53726844

この記事へのトラックバック一覧です: 第650夜:戦後盛秀こけしの変遷:

« 第649夜:高橋精志の精助型 | トップページ | 第651夜:新山兄弟のペッケ »