第649夜:高橋精志の精助型
弥治郎系の高橋精志は明治44年、七ヶ宿村横川の生まれ。高橋精助の二男である。大正15年、15歳より父精助について木地修業。昭和2年、16歳のときに弥治郎の伯父嘉三郎に弟子入りし、1年半の修業の後、横川の実家に戻り農業に従事。その後、昭和10年、24歳の時、福島県平に出て、佐藤誠に弟子入りして木地業に従事する。こけしは昭和の初めから作っているが戦前のこけしは余り多くはない。昭和44年12月に復活。45年夏には精助型を復元し、以後多数のこけしを製作している。
写真(2)は、前所有者の言によれば、昭和45年に備後屋で販売された精助型ペッケ。その時に販売されたのは、5寸と6寸の2種で、「原」は「愛こけし」の40頁に掲載されている2本だと言う。本稿のこけしは5寸で、「こけし辞典」掲載のものと同種。精助の原品と比べると、伏し目がちでおとなしい表情になっている。この後、精志は「たつみ」のメンバとなって、各種の型を作るようになるが、このペッケ型はあまり見かけない。
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コメント
福島市の今日は冷凍庫の中に居るようでした。
道路もツペツペに凍ったままでした。
「ペッケ」というのは胴の形の事ですか?
なんで「ペッケ」と呼ばれるようになったのでしょうか。
お教え下さい。
初心者より。
投稿: ピノ助 | 2012年1月12日 (木) 17時18分
ピノ助様
こんばんは。
今日は、本当に寒かったですね。
ペッケというのは、弥治郎系のこけしで、小寸(3寸から6寸位)の作り付けで、胴が中央でくびれたものを言います。ですから、649夜のこけしは正確にはペッケとは言えませんね。私の場合、弥治郎の小寸作り付けこけしを、勝手にペッケと呼んでいます。紛らわしい文章で申し訳ありません。
なお、ペッケの意味はペケからきているので屑とのことです(こけし辞典より)
投稿: 国恵志堂 | 2012年1月12日 (木) 23時09分