第673夜:善二の幸兵衛型(佳樹へ)
善二の幸兵衛型は昭和50年代以降徐々に変化して幸兵衛からは離れていき、幸兵衛こけしを元にした善二のこけし(これを幸兵衛善二型と呼ぶ)に変わっていく。
写真(2)左端は胴底に「1984.4.30」の書き込みがあり、昭和59年の作。亡くなる1年程前になる。第670夜で述べた米浪幸兵衛型と思われるが、頭も胴も丸みを帯びているのが分かる。顔の表情は変わらないが、胴の牡丹模様も添え葉の様式が変わっている。左から2番目のこけしは、木地形態、胴模様は左のこけしと変わらないが、表情、特に目の描き方が変わっている。瞼に角がなくなり優しい表情になっている。善二の幸兵衛型は署名に「温湯 幸兵エ型 善二」と書いているが、この左から2番目のこけしでは「温湯 善二」としか書かれていない。即ち、善二自身が幸兵衛型とは考えずに作ったこけしということなのである。ところで、この目の描法は実は左から3番目(第62夜で紹介)と同じなのである。すなわち、これまで善二が作ってきた各種の幸兵衛型の要素を取り込んだものということができるだろう。
さて、右から3番目のこけしは佳樹の作で「温湯 幸兵衛善二型 佐藤佳樹」と署名されている。これが左から3番目の善二こけしを模したものであろうことは、鼻の形や胴模様の様式から明かであろう。ちなみに「61.1.30」の書き込みがある。善二は60年6月に亡くなっているから約半年後の作ということになる。善二が亡くなり、本格的に善二こけしを継いでいこうという意欲が感じられるこけしである。右から2番目は「温湯 幸兵エ型 佐藤佳樹」の署名と「S61.12.28」の書き込みがある。頭、胴とも直線的になり、表情も左端の善二の幸兵衛型を倣っており、はっきり幸兵衛型を意識したこけしになっている。右端は達磨絵くびれ胴の幸兵衛型で「温湯 幸兵エ 佐藤佳樹 昭六十二年二月二十日」の署名がある。胴は晩年の善二ほど細くはないが、目は左目の上瞼が水平な「善二の目」になっている。右3本の61年から62年にかけては、佳樹が本格的に幸兵衛型を始めた時期であり、幸兵衛のこけしをそのまま写したものではないため雰囲気は異なるが、若々しさのあふれた実に良いこけしに仕上げっていると思う。
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