第700夜:福寿勘治型の変遷
さて、福寿さんの勘治型の製作については、昭和27年に土橋慶三氏が西田勘治を鳴子に持参して、その写しを作ったのが最初とされている。写真(2)中央が西田勘治、左が福寿さんの写し、右が盛の写し。ところが、それ以降、昭和30年代の中頃迄の勘治型の変遷が今一つはっきりしない。昭和20年代の末から30年代の前半にかけて、福寿さんは新型こけしを中心に作っていたため、旧型こけし自体の製作数は少ない。結婚前の高橋姓での勘治型は前述の写しを除くと、本ブログ第1夜で取り上げた尺5寸以外は「こけし悠々」63頁に掲載されている尺2寸くらいであり、これを写真(3)に示す。
写真(3)中央が第1夜の尺5寸、左は同時期の盛尺5寸、右は「こけし悠々」の尺2寸。これらは勘治の忠実な写しではない。すなわち、独身時代の福寿さんの忠実な勘治型は27年の写し以外には見たことがないのである。写真(4)に左2本(盛、福寿)の署名を示す。
さて、今回の入札品に興味を持ったのは、尺2寸という大きさと木地形態、表情(特に目の描法)、それと胴底の署名が気になったからである。
写真(4)中央が本項のこけし(尺2寸)で、左は同時期の盛勘治型(尺2寸)、右はやや後の作と思われる福寿勘治型(原寸=尺1寸5分)である。また、写真(5)は、それぞれの署名である。
先ず、本項のこけしを同時期の盛勘治型(左)と比べると福寿勘治型は胴の湾曲が大きいことが分かる。これは写真(3)でも同様。胴裾が台状になっている点も勘治型の形態に近い。しかし尺2寸という大きさは普通型で作る大きさであり、まだ完全な勘治型にはなっていないとも言える。一方、表情、特に目の描法は上下両瞼の間に大きな眼点を入れているが、下瞼はほぼ水平で両瞼の間が細いために切れ長で黒目がちな目となっており気品がある。右の勘治型では勘治に倣って下瞼はやや下に膨れ気味で、眼点の両側の白目の部分が大きくなり雰囲気は大きく異なっている。さて、署名であるが、「高勘」では30年代に入った頃から、胴底の丸い鉋溝の中に名前と「作」の字をデザイン化して書くようになる。写真(5)の左(盛)と右(福寿)がそれである。福寿さんの場合は結婚して遊佐姓になってから、このデザイン化した署名になるのである。第316夜で遊佐姓になった頃のこけしを紹介したが、この時点では未だデザイン化された署名になっていない。もう1点、福寿の「寿」の字体が変わるのである、本項(中央)のこけしでは、「寿」の字体は未だ変わっていないが、「作」の字にはデザイン化の先駆けが感じられる。従って、製作時期は32年から33年頃ではないだろうか。結婚して暫く経ち、勘治型に本格的に挑戦し始めた頃の作品なのであろう。
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