第713夜:英吉と正吉
先ずは写真(2)を見て頂きたい。左が本項のこけしで大きさ8寸。右2本が佐藤正吉のこけしで中央5寸(正吉が登別に移って間もない頃)、右7寸(昭和5年頃)。こうして並べて見ると、左と中央のこけし、表情が酷似しているのが分かると思う。そこで、「こけし辞典」を調べて見た。
佐藤英吉は明治39年、山形県及位村に生まれる。大正8年10月に同地の佐藤文六の弟子となり木地を習った。昭和2年に花巻に行き南部商会へ入った。その時の職長が照井音治であった。南部商会には佐藤正吉や佐藤正治等が職人として働いていた。昭和9年に正治に誘われて函館に行き、その後登別に移った。昭和13年8月には正吉を登別に呼び寄せ、翌14年2月には花巻に戻って君塚木工所に勤めた。昭和30年5月に君塚木工所を辞め瀬川の工場に勤めたが、昭和34年に相生町で独立し、41年6月に花巻の現在地に移った。こけしは文六の弟子時代に小寸物を少し挽いたのと、昭和15年頃に佐藤正吉のものを見本として作ったことがある程度で、音治型は瀬川の工場をやめる寸前から作り始めた。
この記述から、英吉の遠刈田様式のこけしは、佐藤正吉のこけしに倣って作ったことが分かる。昭和15年のこけしは見たことがない。本稿のこけしは胴底に54才との本人署名があり、昭和34、5年の独立間もない頃の作品と思われる。従って、昭和15年以来の長いブランク直後のもので、15年当時の様式を色濃く残していると思われる。但し、頭は胴への嵌め込みでグラグラと揺れ、南部系の木地になっている。また、写真(3)のように頭頂部は前髪の後に丸い髷を2つ描いただけで、遠刈田系の特徴である赤い手絡は描かれていない。横鬢上部の緑の飾りは丑蔵などにも見られ、文六の影響であろうか。いずれにしろ、英吉と正吉を繋ぐこけしとして貴重であり、入手した次第である。
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コメント
照井音治・佐藤英吉には非常に好きなこけしがあります。
木地や、優美で上品な描彩には英吉さんらしさが感じられますね。
佐藤正吉との共通項はあまり意識していなかったので興味深かったです。
投稿: かっぱ | 2012年6月 5日 (火) 22時23分
かっぱ様
正吉との関連は私も全く考えていなかったので新鮮な驚きでした。
ネットオークションが盛んになって色々なこけしが出てくるようになり、興味は尽きませんね。
投稿: 国恵志堂 | 2012年6月 5日 (火) 23時41分